改訂新版 世界大百科事典 「浅間丸事件」の意味・わかりやすい解説
浅間丸事件 (あさままるじけん)
1940年1月21日,英独間はすでに戦争状態にあったためイギリス軍艦が千葉県野島崎沖を航行中の浅間丸を臨検し,ドイツ人船客21名を逮捕した事件。事件の方は,交戦国の軍籍にある者を今後乗船させないということで,2月29日ドイツ人船客中9名を日本側に引き渡して落着したが,この間新聞が一斉に反英世論をあおったため,この事件をきっかけに強硬外交を求める声が強まった。右翼を中心とする激しい反英運動も展開された。また,当時陸軍は日中戦争の泥沼化打開のためドイツとの提携強化をはかっており,日独伊三国同盟の締結を推進していた。それに対し同年1月16日に成立した米内光政内閣の米内首相,有田外相は,平沼内閣時代に,米英と正面から対立する三国同盟の締結に難色を示しており,陸軍と激しく対立していた。そこで陸軍は浅間丸事件を利用して米内内閣のゆさぶりをはかるべく反英運動を組織し,米内首相,有田外相を非難攻撃した。英米との国交調整を一つの課題としてスタートした有田外交は,その出発点において外交方針の修正を迫られたのである。
執筆者:芳井 研一
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