浜平村(読み)はまだいらむら

日本歴史地名大系 「浜平村」の解説

浜平村
はまだいらむら

[現在地名]上野村楢原ならはら

楢原村枝村の一つ、神流かんな川最上流域に立地する。寛文郷帳によれば高五石余はすべて畑方、御巣鷹山八ヵ所があった。野栗沢のぐりさわ村とともに上山かみやま郷の御巣鷹山の管理に当たり、二七ヵ所のうち九ヵ所を支配し、四人の御巣鷹見がいた。高役は御巣鷹山管理村のために免除されている(享保五年「御巣鷹山見分請状」高崎市立図書館蔵、元禄一二年「高役出入訴状」高橋文書など)。享保元年(一七一六)の御巣鷹山木品木数書上帳(高崎市立図書館蔵)によると、御巣鷹山一ヵ所と御留山四ヵ所で、槻・樅・沢栗・桂など総計四万八〇八本とある。正徳三年(一七一三)の山稼願書(高橋文書)によると、高六石四斗余・家数二五、家周辺の麦畑降雪で実り少なく、深山での秋作も猪・猿に荒され、笹板・桶木・紙漉舟などを取る山稼で渡世を送っていた。


浜平村
はまびらむら

[現在地名]垂水市浜平

本城ほんじよう川の河口南岸に位置し、東は本城村対岸田神たがみ村。西は海に面し、浜平浦がある。伊能忠敬の「九州東海辺沿海村順」に田上村(田神村)の家数六三五のうちに浜平一〇〇がみえることから、村高が田神村に含まれていた場合があった可能性がある。寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳に村名はみえない。享保七年(一七二二)の古今覚書(垂水市史)に村名がみえ、高二一七石余。「三州御治世要覧」によれば、延享(一七四四―四八)頃の高二一六石余。旧高旧領取調帳では高二〇八石。寛政一二年(一八〇〇)書写の諸郷村附並浦附(県立図書館蔵)垂水郷の浦の一つとしてみえる塩平浦は、浜平浦の誤記であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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