垂水郷(読み)たるみずごう

日本歴史地名大系 「垂水郷」の解説

垂水郷
たるみずごう

近世鹿児島藩の外城の一つ。大隅郡に所属し、同郡の中央部に位置した。一門家垂水島津氏の私領。「三州御治世要覧」に所属村は九ヵ村とあるが、村名は田神たがみ新御堂しんみどう高城たかじよう浜平はまびら柊原くぬぎばる市来いちき中俣なかまた海潟かいがたの八ヵ村しかみえず、本城ほんじよう村が記載漏れとなっている。なお寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳では柊原村は鹿屋かのや郷のうちとされているが、当初は垂水郷に所属し、承応二年(一六五三)鹿屋郷に編入、享保九年(一七二四)再び垂水郷所属となったという(「垂城伝誌」垂水市史料集)。垂水島津氏の初代は島津忠将(本宗家島津貴久の弟)とされ、慶長四年(一五九九)その子以久は種子島から「下大隅垂水」一万一千六八七石に移封となった(「島津以久譜」旧記雑録など)。同八年以久は日向佐土原さどわら(現宮崎県佐土原町)三万石の領主となって転封、垂水は以久の孫忠仍(久信)に譲られ、翌九年忠仍は鹿屋より垂水城へ移り、垂水と鹿屋を兼領した。同一六年忠仍は田神に林之はやしの(館、領主仮屋ともいう。現垂水小学校)を築いて移住、家臣をも移住させて城下に麓を形成した(「垂水領主島津家家譜写」垂水市立図書館蔵)。なお「三国名勝図会」は、久信の子息久敏が林之城へ移住したとしている。田神村の麓集落は城を中心として馬場(通路)縦横に通り、屋敷も整然と区画されていた。


垂水郷
たるみごう

現垂水区東端から西区中央部をも含んだと考えられる中世の郷。古代明石郡垂水郷(和名抄)の郷名を継承する。元弘三年(一三三三)五月二日の大塔宮護良親王令旨案(太山寺文書)によれば、太山たいさん(現西区)の寺領の東は「垂水郷大道」を限りとしている。文禄三年(一五九四)九月一一日の摂津・播磨国堺目定書請文(多井畑八幡神社文書)では、播磨側の領内立会に「東たるミ」与三兵衛・同久右衛門、「西たるミ」兵左衛門・同吉兵衛が「下はた」の者とともに署名しており、当郷は播磨国の東端にあることがわかる。


垂水郷
たるみごう

和名抄」所載の郷。高山寺本は「垂水」、東急本は「垂見」と表記し、東急本の訓は「多留美」。天平二〇年(七四八)一一月二〇日、明石郡垂水郷の塩山地三六〇町が聖武天皇の勅により奈良東大寺に施入されており、四至は「東寒河、南海辺路、西垂水河、北太山堺」であった(「太政官符」東大寺要録)。「太山」は現神戸市西区の太山たいさん寺の所在地。長徳四年(九九八)の諸国諸庄田地目録(同書)にも垂水郷の塩山三六〇町とみえるが、大治五年(一一三〇)の東大寺諸庄園文書等目録(東大寺文書)では垂水庄とある。


垂水郷
たるみごう

古代の那珂なか郡垂水郷(和名抄)の郷名を継ぐ。垂水町を遺称地とし、一帯に比定される。嘉元四年(一三〇六)の昭慶門院領目録案(竹内文平氏旧蔵文書)のうち、後宇多院の分国讃岐国の公領を書上げた箇所に「垂水郷 如来寿量院料所 如願上人知行」とある。如来寿量院は後嵯峨上皇によって嵯峨野さがのの御所亀山殿に隣接して建てられた寺院である。文永九年(一二七二)正月一五日の後嵯峨院処分帳(後嵯峨院御文類)で、如来寿量院は皇子の円助法親王へ譲られているが、当郷はみえない。また嘉元三年七月二〇日の亀山院処分状(亀山院御凶事記)で、如来寿量院は八条院領の寺領などとともに皇子恒明親王へ譲与されたが、後宇多院は父亀山院の遺志に従わず、恒明親王領を含めて所領のほとんどを翌四年六月一二日に昭慶門院憙子内親王へいったん譲与した。


垂水郷
たるみごう

「和名抄」東急本・刊本に「垂水」、高山寺本に「垂木」とあるが、垂水が正しい。旭川と備中川の合流点西の沖積地を中心とする、現真庭まにわ落合おちあい町垂水付近が郷域と考えられる。推定郷域内のおもな遺跡としては弥生時代の中山なかやま遺跡(落合町西河内)が注目される。弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての墳墓群で、総計二六七基にのぼる土壙墓を主体とする。落合町垂水に垂水古墳(全長二六メートルの前方後円墳)、同下市瀬しもいちぜ槙の前まきのまえ三号墳(全長三二メートルの前方後円墳)がある。


垂水郷
たるみごう

「和名抄」高山寺本は「垂水」とし、東急本は「垂氷」につくる。いずれも訓を欠く。東急本は讃岐国那珂なか郡垂水郷には「多留美」と訓を付す。天平七年(七三五)閏一一月一〇日の相模国封戸租交易帳(正倉院文書)に、光明皇后の封戸一〇〇戸のうち足下郡垂水郷五〇戸、田一七二町三反二四〇歩とみえる。


垂水郷
たるみごう

「和名抄」高山寺本は「多流美」、東急本は「多留美」と訓を付す。中世には公領の垂水郷がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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