日本歴史地名大系 「浜御殿跡」の解説 浜御殿跡はまごてんあと 愛媛県:宇和島市宇和島城下浜御殿跡[現在地名]宇和島市御殿町・天赦公園・文京町宇和島城の南方、佐伯町(さえきまち)と城郭との間に、凸字形に土地を造成して建造された宇和島藩主の居館。「北宇和郡誌」に、寛文一二年(一六七二)「御庭御普請築地始る」、延宝四年(一六七六)「浜御屋敷築地成就、御入目高百五十五貫二百目余」とあり、二代藩主伊達宗利の時代に、寛文の宇和島城大改築と並行して建設されたことがわかる。延宝四年五月、建設当時の浜之御屋敷絵図によると、東の広小路側の道路に面して正門があり、これを入ると広い敷石を経て御門があり、南に御長屋、北に腰掛けが設けられている。 浜御殿跡はまごてんあと 東京都:中央区旧京橋区地区築地四丁目浜御殿跡[現在地名]中央区浜離宮庭園築地(つきじ)四丁目の南西にある。同町との間は築地堀、北西から南西は汐留(しおどめ)川で限られ、同川は南端で隅田川へ入る。南東は隅田川河口部に面する。当地は寛永期(一六二四―四四)には葦の叢生する海浜で、徳川将軍家の鷹場として用いられていた。承応元年(一六五二)八月、将軍徳川家綱から弟の甲斐甲府藩主松平綱重に与えられ、同藩により埋立てられて下屋敷が置かれ甲府御浜(こうふおはま)屋敷と称された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報