日本歴史地名大系 「宇和島城下」の解説
宇和島城下
うわじまじようか
宇和島城を中心として、その東南部に形成された城下町。東部の
この地は中世には
〔中世・板島丸串城下〕
「清良記」に、永禄六年(一五六三)土居清良が土佐国中村の一条氏から蓮池黒という馬をもらい「馬の速さを御ためしあるとて、板島の町にかよわせ」とある。この「板島の町」は、当時家藤監物が在城したという板島
さらに南側神田川の下手について次のように記す。
以上によると、北の
〔近世城下町の形成〕
藤堂高虎の時代(文禄四年―慶長一三年)には、丸串城の本格的築造に伴い城下町も面目を一新する。高虎の工事として、須賀川は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報