日本歴史地名大系 「海浦」の解説
海浦
うみうら
慶長三年(一五九八)六月一八日付のうみ浦惣百姓中宛新藤甚介証状(小塙家文書)に「うみ浦、宿浦之さかいめ之事」として「太閤様御検地之如御置目村きりに傍示を相定候旨被仰出候、こんけんの石北平、海はきつその石之見なみ平に相定申候」とみえ、また同月一五日付の宿浦惣百姓中宛の同氏証状(同文書)に「うみの浦の境は、東は先々より有り来ることく村の北の川きりをさかひに相定申候」とあり、後々の宿浦との海論の原因となった(→宿浦)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報