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 ウミ

17件 の用語解説(海の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

うみ【海】

地球上の陸地でない部分で、全体が一続きになって塩水をたたえている所。地球表面積の4分の3を占め、約3億6000万平方キロメートル。海洋。「川がに注ぐ」「に浮かぶ船」⇔陸(りく)
陸地の中で、広くくぼんで水をたたえている場所。大きな湖沼。みずうみ。「余呉の
ある事物が大量に集まっている所。一面に広がっていること。「血の」「あたり一面火のとなる」
硯(すずり)の、水をためておく所。⇔陸(おか)
[補説]書名別項。→

み【海】

うみ」の音変化。
「淡海(あふみ)の―瀬田の渡りに潜(かづ)く鳥」〈神功紀・歌謡〉

わた【海】

《後世は「わだ」とも》うみ。
「荘船(かざりぶね)一艘(ふな)、―の浦に迎ふ」〈岩崎本推古紀〉

うみ【海】[書名]

文芸雑誌。昭和44年(1969)創刊、昭和59年(1984)終刊。海外作品を多く紹介したほか、村上春樹の評論や唐十郎の戯曲など、さまざまなジャンルの作品を掲載。
近藤啓太郎長編小説。昭和42年(1967)刊行。のち、昭和52年(1977)に第3部を加筆した完成版が刊行された。鴨川の漁師たちの姿を描く。

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監修:松村明
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百科事典マイペディアの解説

海【うみ】

海洋

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションの解説

うみ【海】

鹿児島の芋焼酎。地元の契約栽培の原料芋を黄麹で仕込み、低温発酵で醸す。蒸留法は減圧蒸留。垂水の温泉水「寿鶴」を割り水に使用。原料はベニオトメ、米麹。アルコール度数25%。蔵元の「大海酒造協業組合」は昭和42年(1967)鹿屋管内の焼酎製造業者9社が協業し創業。所在地は鹿屋市白崎町。

出典|講談社
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デジタル大辞泉プラスの解説

鹿児島県、大海酒造株式会社が製造する芋焼酎。

日本の唱歌の題名。作詞:林柳波、作曲:井上武士。発表年は1941年。2007年、文化庁日本PTA全国協議会により「日本の歌百選」に選定。

日本の唱歌の題名。文部省唱歌。発表年は1913年。

フランスの作曲家クロードドビュッシー管弦楽曲(1903-05)。原題《La mer》。印象主義音楽を代表する作品の一つとして知られる。

出典|小学館
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世界大百科事典 第2版の解説

うみ【海 sea】

地球上の陸地以外の凹所に水をたたえ,全体がひとつづきになっているところが海(海洋)である。それを満たす水が海水で,その塩分の組成率は,世界中ほぼ一定している。海岸近くの入江や,浦,潟(かた)を海とするか湖沼と呼ぶかは,多分に従来の習慣によっている。
【海の地球科学

[海の分類]
 海を分類するには,その位置や大きさ,形状,海水の特性などにより,大洋と付属海に分け,付属海はさらに地中海(大・小地中海),縁海に分ける。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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大辞林 第三版の解説

うみ【海】

地球の表面のうち、海水をたたえた部分。総面積は約3億6千万平方キロメートルで、地球表面積の約4分の3を占める。最深はマリアナ海溝の約1万1千メートル。平均深度は3千8百メートル。海洋。 ↔ 〔一般に外海をいうが、カスピ海のように周囲を陸で囲まれた大きな湖などをもいう〕
みずうみ。湖。 「鳰におの-」
月面の、比較的凹凸少なく広々している所。 「嵐の-」
あたり一面がその物でおおわれていること。 「あたりは火の-だった」
すずりの、水をためておく部分。池。

うみ【海】

文部省唱歌。作詞作曲者とも不明。1913年(大正2)刊の「尋常小学唱歌(五)」に発表。「松原遠く消ゆるところ…」

み【海】

〔「うみ」の「う」が脱落した形〕
うみ。 「淡海おうみの-瀬田のわたりに潜かずく鳥/日本書紀 神功

わた【海】

うみ。 「 -の底沖つ深江の/万葉集 813

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


うみ
seaocean

塩(塩類)を含む水の非常に大きな広がりをいう。この水を海水という。塩を構成する元素間の比は海のどこでもほぼ一定である。大きな塩(水)湖のなかには海とよばれるものもある。カスピ海アラル海、死海である。しかし、塩湖の水に溶けている元素の量の比は海水とはまったく違う。「海洋」は「海」と同義語であるが、どちらかといえば「海洋」はやや改まったことばである。海は単に大きな水たまりというだけでなく、その下の地殻(海洋地殻)の構造が大陸下の地殻(大陸地殻)とはまったく違う。海をもっとも大きく分ければ太平洋大西洋インド洋となる。これらの海を大洋といい、それぞれその周りには付属海がある。太平洋の付属海は日本海(韓国では東海)、東シナ海(中国では東海)、黄海などである。大きな海は大洋であるが、一般に海といえば意味は広く、大洋も付属海も含むことが多い。大洋は狭い意味では付属海を含まない。
 「うみ」は「大水(おおみ)」に由来するといわれ、大槻文彦(おおつきふみひこ)の『大言海』にも「大水(オホミ)ノ約転語、湖、海、スベテ大イニ水ヲ湛(たた)フル処(ところ)」とみえており、幸田露伴(ろはん)も『音幻論』で「オホミ(大水)の約転か」と述べている。漢字の「海」は「さんずい(水)」と音を表す「毎(晦(くら)いこと)」をあわせて、人がその果てを知らない広々とした水のあるところを示す。
 海と大洋の英語はsea、ocean(フランス語はmer、ocan、ドイツ語はSee、Ozean)である。seaの語源は、古高地ドイツ語のGisig、Gisic(池や沼沢地の意)らしい。merはラテン語のmare(海)に由来する。oceanの語源は、ギリシア語のkeanos、ラテン語のoceanusである。日本語の海と大洋は英語のseaとoceanに対応するが例外もあって、北極海、南極海の語尾は「海」であるが、英語ではArctic Ocean、Antarctic Oceanで、oceanである。フランス語、ドイツ語でもこれらの海に対してocan、Ozeanを使う。[半澤正男・高野健三]

海の名称と区分


 世界の海を総称する呼び方に次のようなものがある。
(1)三大洋 太平洋、大西洋およびインド洋。
(2)四大洋 三大洋に北極海を加えたもの。おもに欧米で使われる。
(3)五大洋 四大洋に南極海(南大洋ともいう)を加えたもの。
(4)七つの海 南・北太平洋、南・北大西洋、インド洋、北極海、南極海。世界の海の総称としても使う。
 各大洋の境界は便宜的、習慣的にそれぞれ次のようにされている。[半澤正男・高野健三]
太平洋と大西洋との境界
ホーン岬からサウス・シェトランド諸島に至り、さらに南極半島に至る線。マゼラン海峡は全部太平洋に属するとみなされている。[半澤正男・高野健三]
大西洋とインド洋との境界
アガラス岬(アグリアス岬)から南極大陸に至る東経20度線。[半澤正男・高野健三]
インド洋と太平洋との境界
アンダマン諸島、インドネシア、チモール島からオーストラリアのタルボット岬に至る線。オーストラリア西岸から東南端のバス海峡に至る線。タスマニア島のサウス・イースト岬から南極大陸に至る東経147度(厳密には東経146度52分)の経度線。[半澤正男・高野健三]
北極海と太平洋との境界
ベーリング海峡。南太平洋、インド洋、南大西洋の南の部分で南極大陸をめぐる海は南極海あるいは南大洋と総称されることもある。[半澤正男・高野健三]

海と人間とのかかわり合い


自然環境としての海
海は地球の表面積の70%あまりを占める大きな存在であるが、海の大きさは表面積だけにとどまらない。地球を覆う大気と比べると、質量は260倍、吸収する太陽放射エネルギーは2.6倍、熱容量は700倍、含まれる二酸化炭素は約60倍、含まれる水(水蒸気と氷を含めて)は10万倍である。海中に溶けている二酸化炭素量の60分の1が何かの理由で大気中に放出されても海にはほとんど変化はないが、大気中の二酸化炭素濃度は2倍になる。さいわい海水はいろいろな特殊な性質をもっているため、海は変わりにくい安定な状態を保ち、気温が高くなりすぎれば大気から熱を吸収し、低くなりすぎれば熱を大気に放出するなどして大気の状態があまり変わらないように調節している。
 海の大部分は人間の生活圏(陸)から遠いうえに、海上を吹く風の分布の効果も働いて海の表層は陸に比べて植物の栄養分が少ない。そのため、海の面積は陸の2.4倍もあるのに植物の量は陸上の400分の1たらずしかない。年間の生産量(新たに生えてくる量)は海での観測がむずかしいので正確にはわからないが、陸地の生産量の半分ないし陸地の生産量並みであり、陸地とほとんど差がない。海の植物は陸地の植物とは違い、世代交代が速いからである。植物の生育には太陽エネルギーと二酸化炭素が必要だから、海の植物が消費する二酸化炭素量は陸地の植物に匹敵する。[高野健三]
海と人間
人間にとって海は水の障壁であるが、交通・交易のための空間でもあった。新しい航路の発見が国々の興亡にかかわったこともある。世界の大都市の多くは海あるいは大きな川に面している。航海の安全と高速化を図ることが新しい科学・技術の発展を促した。ヨーロッパ人は11世紀の初めには面積のうえで海全体の約5%、陸地全体の約17%、15世紀の初めには海全体の約7%、陸地全体の約25%の存在を知っていたようである。その後、新しい世界を次々と発見し、19世紀末には海全体の約98%、陸地全体の約90%の存在を知る。当時よくわかっていなかったのはおもに北極と南極の周りであった。造船・航海術の進歩によって航海は少数の冒険者たちだけのものではなくなった。その結果、植民・移民が盛んとなり、新しい経済・文化圏が生まれた。
 海は魚介類の供給源でもある。沿岸海域の調査・研究はまず漁業のための調査・研究で始まることが多かった。
 第二次世界大戦後は、ミサイル潜水艦の出現によって軍事上の海の重要性は著しく高まった。一方では、海が地球気候に対して大きな働きをしていることが少しづつわかってきて、地球気候との関連で海を見るようになった。また、埋め立て、港湾の整備、養殖業の拡大、レクリエーション、石油などの海底資源の採掘や海上輸送・貯蔵、廃棄物の処理など海の利用はさまざまな面にわたるが、それだけに沿岸海域だけではなく外洋も汚染のおそれが増し、全海洋の環境と開発という問題が大きくなってきた。[高野健三]
資源・エネルギー源としての海
塩、魚介類、海藻類は食糧として古くから利用されてきた。海底の石油、石炭、天然ガス、錫(すず)、土木・建築用の砂・小石はすでに採掘されていて、海底石油生産量は全生産量の20%を占める。海藻を養殖して、食糧と工業原料にすることも研究されている。
 商業採掘に向けて調査中のものには、マンガン団塊、熱水鉱床、コバルトクラスト、メタンハイドレート、大陸棚オイルシェール、タールサンド、ウランなどがある。海底には場所によっては肥料の原料として重要な燐鉱塊もある。
 地下水を除いて地球上の水の98%あまりは海にあり、海の最大の資源は水である。この水は海面からの蒸発→降水→河川水→海という自然のサイクルのなかでその一部(陸から海に流れ込む水の10%たらず)が農業・工業・家庭用水となっている。海水は発電所の冷却水として使われているが、積極的に表層と下層から海水を汲み、その水温差を発電に利用する試みもある。温度差発電(OTEC ocean thermal energy conversion)という。規模は小さいが下層の海水を汲み上げて飲料の原料や養殖などに使われている。
 また、フランス北西部を流れるランス川の河口では潮汐発電所が1966年から稼動している。ロシアのキスラヤ湾やカナダのノバスコシアでも稼動しており、中国にもいくつもあると伝えられる。うねりを利用する小さな波力発電装置は航路標識ブイに多数使われている。一般に陸上よりも海上のほうが風は強いので、海上風力発電も研究されている。
 海水中にはさまざまな物質が含まれている。濃度は非常に低くても海水量が莫大なので総量としては大きい。陸地下の推定埋蔵量に比べて金は約150倍、ウランは約800倍、銀は約300倍である。探査法の進歩によって陸地下の推定埋蔵量は増えているが、海中のほうがずっと多いことは変わらない。有用金属のうち陸地下のほうが多いのは鉄と鉛くらいである。これらのうち、抽出法が研究されているのはウランである。第一次世界大戦に敗れたドイツは、敗戦の7年後、おもに南大西洋で大規模な海洋調査を行った。その目的の一つは海水から金を抽出して国家経済の立て直しを図ることだった。
 海は外洋クルージングを含めて観光とレクリエーションの空間であり、海水療法の空間でもある。海は一部の廃棄物の捨て場になっており、地球温暖化を抑えるために大気中から二酸化炭素を抽出して海に捨てることも研究されている。
 20世紀の中ごろ、海洋開発に大きな期待が寄せられた。その重要課題の一つは海を研究して気候のしくみを理解し、気象・気候の長期予報の精度を高めることである。精度が高くなると、翌年の天気に適した種子や苗を用意できる、大雨をずっと前から予報できたら貯水池の水位をあらかじめ下げておいて洪水を防げる、大土木工事に際して労働力や資材の調達・貯蔵の手配に無駄がなくなる、などいろいろな面で経済効果は大きい。アメリカでの見積もりによると、その利益は、漁業の改良や海上輸送の改善、沿岸海域の保全やレクリエーション施設の適切な運用、鉱物資源の開発などがもたらす利益の合計よりも大きい。[高野健三]

海に対する認識の変遷


 地球が球形であること、海がその上に広がっていることは紀元前4世紀のころには知られていたが、海の深さの分布、つまり立体としての海の形がある程度わかるのは、19世紀のなかばであり、そのころが近代海洋学の誕生期である。[半澤正男・高野健三]
古代人の海洋観
もっとも特徴的なのは、海を大河(オケアノスokanos)とみていたことである。紀元前5世紀ころのヘカタイオスHekataiosの世界図も、当時知られていた陸地や地中海の様相が驚くほど正確に再現されているが、その周り、すなわちヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)の外はオケアノスとして表現されている。古代インドのバラモンの神話にも世界は七つの陸地に分かたれており、それを取り巻く七つの海があるといった世界観がみられる。
 アリストテレスAristotels(紀元前384―前322)は地球が球形であると主張し、さらに海水の塩分の起源や大気と海の間の水の循環を論じている。
 エラトステネスEratosthenes(紀元前273ころ―前192ころ)は、地球一周の長さを約4万5000キロメートルと計算した。この値は正しい値よりも10%ほど大きいだけである。その後、ポセイドニオスPoseidonios(紀元前135ころ―前50ころの天文学者)はそれよりも30%近くも短い値を算出した。プトレマイオスPtolemaios(紀元90ころ―168ころ)は、ポセイドニオスの値が正しいとしたので、そして、のちに、長さの単位の換算を間違えたことも重なって、長い間にわたって地球の大きさ、海の大きさは過小視されることになった。ヨーロッパから西に進んでアジアまでの距離も過小視され、これが、のちにコロンブスに大航海を決行させる一因となった。また、彼が1492年に西インド諸島に達してから1506年に死ぬまで、アジアの東端にたどりついたと信じていた一因となった。[半澤正男・高野健三]
中世の海洋観
ギボンEdward Gibbon(1737―94)によれば、ヨーロッパの中世は「評論家や解説者が多すぎて、学ぶことの意味があいまいになり、真の才能が抑えられた時代」である。ギリシアとアラビアの文献がラテン語に翻訳され、先進国である中国やアラビアから科学・技術が輸入された。十字軍(1096~1270)はこの輸入に貢献しただけでなく、北・西ヨーロッパ間の文化・文明の交流にも貢献した。その結果、北方型帆船と南方型帆船の構造が混じり合い、帆走能力が高くなるなど大航海時代への準備を整えていた。
 この時代、初めは「海」や「船乗り」は、魔物、飢え、寒さ、ならず者、など悪い意味を連想させがちであったが、13世紀ころから、挑戦、積極性など良い意味と結びつけられるようになった。[半澤正男・高野健三]
近代海洋学の誕生
19世紀なかばに近代海洋学が生まれるきっかけは次の三つである。
(1)海底電線敷設のため海の深さを正確に測ることになった。海図に大陸棚の深さが記入されるのは16世紀の終りころであるが、19世紀なかばになって海岸の形だけではなく、深さまで加えた立体像がしだいに明らかになる。
(2)海底電線敷設に伴い、深海にも生物がいることがわかり、新しい生物学が生まれた。また、海底電線引き上げに伴って海底堆積物が採取され、海底堆積学という新しい学問分野が生まれた。
(3)高速帆船の時代で、インドの新茶を少しでも早くイギリスに運ぶ必要があった。また、カリフォルニアはゴールドラッシュで、南アメリカ大陸のホーン岬沖経由の北アメリカ大陸東岸とカリフォルニア間の航海日数をできるだけ縮める必要があった。そのため、風と海流の利用が重要課題となった。モーリーMatthew Fontaine Maury(1806―73)の努力によって多数の海流・風データが集められ、さらに、将来にわたってデータ集積が継続される国際協力体制ができあがり、海流の研究に弾みがついた。[半澤正男・高野健三]

海と日本人


日本人の海洋認識
古代の日本人の海洋認識をうかがう史料としては、まず『古事記』(712成立)がある。気をつけてみると、これには意外に海洋、航海、造船の記事が多く、古代人の海とのかかわりあいの深さを示している。『古事記』は冒頭で「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時」と宇宙創成を述べる。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)両神による天(あめ)の浮橋(うきはし)から天(あま)の沼矛(ぬぼこ)を使った国土創造の段に至り、「塩こをろこをろに画(か)き鳴(なら)して、引き上げたまふ時、其(そ)の矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩累(かさ)なり積(つも)りて島と成りき」など、海洋についての記述がある。『古事記』にはこのほか「塩盈珠(しほみつたま)」「塩乾珠(しほひるたま)」の描写や、「速吸門(はやすひのと)」といった記事もあり、潮汐(ちょうせき)現象、潮流、航海難所に古代人がすでに相当の知識があったことを示している。しかしもっとも注目すべきものは「海界(うなさか)」の考え方である。うなさか(海境・海坂・海界)とは「上代、海上にあると信じられていた、海神の国と人の国との境界。海のはて」(小学館『日本国語大辞典』)である。『古事記』上巻に「即ち、海坂(うなさか)を塞(さ)へて返り入りましき」、『万葉集』巻9に「水江(みづのえ)の浦島子(うらのしまこ)が鰹(かつを)釣り、鯛(たひ)釣り矜(ほこ)り七日まで家にも来(こ)ずて海界(うなさか)を過ぎて漕(こ)ぎ行くに」などとみえている。古代ギリシア人が地中海もオケアノスも同じ水の集合体(物質、物体)としているのに対し、海坂は、海の果ては海神の国という、ある意味での精神世界を想定している。この歌は、「日本に漂着した先祖の故郷は海のはるかかなたにある」という潜在記憶の表われとも解釈できる。このあと、「はるかに遠い海」という意識は薄くなってゆく。海にかかわる歌は多いが、浜辺から眺めた沖の海、岸にごく近い海上から見た陸の風景が詠われていて、欧米の文学作品に見られるような外洋を帆走する爽快(そうかい)感、外洋での風や波との闘いなどはまったく現れない。7世紀の初めから9世紀の終わりまで、遣隋使(けんずいし)、遣唐使の時代の海は東シナ海や黄海だった。派遣された使節や学生たちはすべて使命に燃えていたのではなく、多くの人々は、船が日本を離れるとすぐに船酔いに苦しみ、望郷の念にかられて早く家に帰りたい、と気持ちはひたすら内向き、消極的になり、落ち込んでしまう。海国日本というが実態は海に取り囲まれているというだけの海岸国にすぎなかった。京都の商人田中勝介(たなかしょうすけ)のメキシコ渡航(1610)と支倉常長(はせくらつねなが)ら遣欧使節(1613~20)の太平洋横断航海はあったが、ほかの航海があとに続いたわけではない。日本人の海に対するこの姿勢は鎖国によってますます強くなる。太平洋は江戸幕府(1603~1867)の末期まで日本人にとっては存在しないも同然だった。江戸時代、黒潮についての記述がごくわずかにあるだけである。柳田国男(やなぎたくにお)は著書『海上の道』のなかで、「四面海をもって囲まれて、隣と引き離された生存を続けていた島国としては、この海上生活に対する無知はむしろ異常である」という。
 太平洋あるいは広く外の世界を意識するのは幕末である。林子平(はやししへい)の『海国兵談』全16巻(1787~91)は国内に安住する日本への警鐘であり、1853年のペリーM.C.Perry(1794―1858)のアメリカ艦隊とプチャーチンE.V.Putyatin(1803―83)のロシア艦隊の出現は否応なしに太平洋とその向側の国々に目を向けさせた。やがて多くの日本人が欧米の文明を学ぶために太平洋やインド洋を超えてゆく。
 文部省唱歌『われは海の子』(1910)は、海浜と海浜から眺めた陸の風景で始まるが、外洋への期待で終わる。20世紀になって、ようやく海の大きさ、広さが認識されるようになった。
 現在、日本人の国際性の乏しさがしばしば指摘される。海洋研究でも、20世紀の後半、日本での研究対象がほぼ沿岸海域に集中していた時期が長く続いた。「日本は輸出入の多くを船に頼っており、その船の多くは外洋を航行しているのだから、外洋研究に力を注がなければならない」という批判が外国から出たこともある。沿岸海域への研究の集中は、幕末までの海とのつきあい方と無縁ではないようである。[半澤正男・高野健三]
海の民俗
わが国は海に取り囲まれた島国であり、古来海に対する関心は深かったが、西日本を中心に一部存在した家船(えぶね)や海女(あま)・海士(あま)を除けば、生粋(きっすい)の海上生活者の数は多いとはいえず、沿岸や島嶼(とうしょ)部に住む人々でも実際には海に背を向けた生活が比較的多かった。それゆえか、漁民の信仰生活などをみても、えびすなどの漁業神や船霊(ふなだま)様などの船の守護神については、ほぼ全国的に具体性をもって語られているが、海そのものに対する信仰や儀礼となると、そうともいえないようである。記紀、『万葉集』など各種の古典記録にみるように、古代社会においては海神の存在する海底の宮、つまり綿津見(わたつみ)の国とか根の国、常世(とこよ)の国なるものが観念されており、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫(とよたまひめ)の神話や、浦島太郎説話にあるように、鳥や魚が海神の使者であって、それを助けた者が海底の宮に迎えられるという話は、海底の宮と人間界との交渉を伝えるものとして今日も語られている。しかし現実の民間の諸習俗のなかにこうした考えが広く展開されているとはいえない。ただ沖縄を中心とする南方の島々では今日もニライカナイ、ニルヤ、リューグーなどとよんで海上かなたの他界が観念されており、そこは人間の祖霊の赴くところであって、稲や火、さらには鼠(ねずみ)のようなものまでがその他界から人間界に持ち込まれたと考えられている。そして各種の祭祀(さいし)儀礼のなかにこの他界の観念が象徴されているし、沖縄本島中・北部の村落では海神を迎えて行う海神祭(ウンジャミ)が営まれている所もある。
 ところで「板子一枚、下は地獄」ということばが漁師や船乗りの間で語られるように、海上での生活はきわめて多くの危険や制約を伴うものである。そこで航海の安全を祈り、生業の繁栄を願って彼らに広く受容されているのが船霊信仰とえびす信仰である。船霊は船に祀(まつ)り込められる神で、地方により相違はあるが、一般には、さいころ、六文銭、女性の毛髪、人形などを御神体とする。船霊が漁の吉凶や天候の急変などを泣いて告げてくれるという信仰はほぼ全国一様で、また船霊は女性神だとする考え方もほぼ共通している。海上では沖ことばといって、特定のことばは用いることを忌み、他のことばで代用する習慣がみられるが、とくに猿や蛇の語はほぼ全国で忌まれている。その説明としてしばしば語られるのは、船霊様がこれを嫌うからということである。また女性1人を船に乗船させることを嫌う風習も各地にあるが、それに対しても船霊様が嫉妬(しっと)するからという説明が語られる。海上での漂着物は、遭難者の遺体(流れ仏)をも含めて、漁民の間では吉報と考えられることが多い。それゆえこれを丁重に扱うのが常で、こっそり自宅の庭に埋めたという話は各地で聞かれる。このような態度は、元来漂着神とみなして各地の漁村で祀られているえびす神への信仰と結び付く結果であろう。現に漂着物や流れ仏をえびすとよぶ地方は多い。そのほか海上での制約、俗信、禁忌は限りがないが、たとえば、海中に金物や梅干しの種を落とすことを嫌う(海中の神ともいわれる竜神が嫌う)、海上では口笛を慎む(荒天をよぶ)、船中では茶碗(ちゃわん)をひっくり返さない(船の転覆をよぶ)などというのは、ほぼ各地に共通する。
 またもう一つ大きな禁忌として穢(けがれ)に対する観念がある。日本人の穢の観念としては、出産にかかわる赤不浄と、死にかかわる黒不浄の二つが代表的なものであるが、漁民の場合、先の流れ仏の扱いでもみたように、全国一様とはいえないが、死に対する忌みは一般にそれほど強くはないようである。しかし出産に対する忌みは各地できわめて厳格であって、出産のあった家に出入りすれば一定期間海には出られないとか、自宅で出産があっても一定期間は家に戻らず他家に宿泊するというような習慣は各地にある。漁業は、もちろん個人的に営まれる場合もあるが、多くの場合は共同労働を要し、それは社会的な営みともなる。それだけに日常の海上生活ではむろんのこと、陸での生活に関しても多様な禁忌を厳守することが不可欠となるのである。
 海上は一面きわめて恐ろしいところと考えられている。水死人の亡霊が船の形となって現れ杓子(しゃくし)を貸せという。貸すと水を船中に汲(く)み込まれるので、底を抜いて貸すとか、これを餓鬼として扱い食事を与えると消えていくという。また巨人の妖怪(ようかい)といわれる海坊主(うみぼうず)が出現する。こうした怪異を経験しても他者にはいっさい口にしてはならず、自然に消滅するのを待つのが漁民や船乗りの間での通例である。全国各地にある特定の岬や岩礁では、そこを通過するときに異変がある、あるいはかならず時化(しけ)がおこると信じられている。そのため、そうした土地では船霊様を祀って安全を願うとか、海中に供物(くもつ)を落とすなどということも行われている。[野口武徳]

海の神話と伝説


 陸地を取り巻く海は、古代から、人間に神秘的なるもの、無限なるもの、原初的なるものの観念を与え、畏敬(いけい)の念と同時に、底知れぬ恐怖心をも抱かせてきた。他面、海は古代から人間の交通路であり、陸地間の接触の媒体であったから、諸民族の商業、軍事活動の大きな舞台であり、船と航海者の独自の世界が形成されてきた。
 哲学の祖といわれる紀元前6世紀のイオニアの都市ミレトスのタレスが「万物のもとは水である」と述べたことは有名である。しかし、水ないし海が宇宙開闢(かいびゃく)のときにあって、あらゆるものの根源となったという考え方は、古くメソポタミア文明の時代にまでさかのぼってみられる。前4000年以後発達したシュメール文明において、天と地を生んだ母である女神ナンムは、海を表す表意記号によって示されていた。バビロニアの神話でも、天地創造以前には、淡水の海アプスーと塩水の海ティアマトしかなく、この二つの結合から、空、地、水などのさまざまな神が生まれることになっている。エアとよばれる水神は知とあらゆる魔術の神でもあり、それから英雄神マルドゥクが生まれるが、その前に、原初の海とその子の神々の間に争いがおこる。結局エアの力でアプスーは眠らされ、多くの怪物に囲まれたティアマトはマルドゥクに殺されたのち、天に磔(はりつけ)にされる。メソポタミアの創造神話においては、海は混沌(こんとん)たる無秩序の元素であり、その混乱を克服し、宇宙に一定の秩序がもたらされるとき、人間の歴史が始まる、という考え方が示されている。メソポタミア神話の影響を強く受けたヘブライ神話でも、宇宙の初めには闇(やみ)に閉ざされた原始の海があり、神の霊風がその表面を吹きまくっていたとされる。わが国の『古事記』に現れた日本神話によれば、「浮かべる脂(あぶら)の如(ごと)くして水母(くらげ)なす漂える」状態に世界があったとき、伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の2神が、天の沼矛(ぬぼこ)で海水をかき回し、矛の先からしたたる塩が積もってできた淤能碁呂(おのころ)島で、日本列島と神々の創造を行ったことになっている。
 エジプト神話において、太陽神アトン・ラーは、他の多くの神々を生み出した主神だが、その神自身が、ヌンすなわち原始の大海から生まれ出たとされる。そして大地は平板で水の上に浮かび、その水は宇宙全体を満たしている。太陽神ラーは日中舟で天空を漕(こ)ぎ渡り、夜は大地の下を行くのである。興味深いことに、この世界像は、アメリカ大陸メキシコのトルテカ文化、アステカ文化におけるそれとよく似ている。すなわち、古代メキシコにおいては、トラルティクパク(地)は宇宙の中心に位し、水平・垂直に延びた円板で、その周りを巨大な水(テオアトル)が取り囲んでいる。そこで世界はセムアナワク(完全に水で取り囲まれたもの)とよばれた。
 ギリシア神話では、海は天地創造以前の元素ではなく、カオスすなわち混沌のなかから生み出されたものとされ、人格的な神として表されている。ヘシオドスの『神統記』によると、カオスから大地ガイア、および奈落(ならく)・地下のタルタロスが生まれ、ガイアが天空ウラノスと海原ポントスを生んだ。そしてポントスはガイアとの間に、怪獣、鯨などの巨大な魚族ケトや、優しい海の老人ネレウスを生んだ。ネレウスは、海底の洞窟(どうくつ)に50人もの娘たちとともに住み、「偽りを知らず……頼りになり、優しい気質で、掟(おきて)を忘れず、正義と親切をわきまえる」と歌われ、おだやかな日和(ひより)の海を象徴している。そして、人間や神々に対して親切な忠告や預言をするが、これは、海という世界の水を集める千古の秘密をたたえた場所には知識が凝集している、という古代ギリシア人の考え方を現している。そしてネレウスと娘たちは、ギリシア人の住んだエーゲ海の穏やかな美しさを反映しているといっていい。娘たちのなかにはプロト(帆を走らせる女)、グラウケ(海の青い輝き)、キモトエ(波の速さ)などがいる。一方海神としては、有名なポセイドンがいるが、ネレウスとは対照的に気むずかしく、しばしば荒天や嵐(あらし)の海を表す。ポセイドンは、地中海世界を縦横に航海した海洋民族としてのギリシア人が抱いた、大洋の荒々しさの観念を象徴している。
 ギリシア人同様、海洋民族であったヨーロッパの北方民族が、ポセイドンと同じような荒々しい海神を構想したのは当然である。アイスランドのスノッリ・スツルソンの『エッダ』によれば、海を治める神はエギルで、この神のあごが、海に迷った船を飲み込むと考えられた。そして大海は、しばしば航海者を滅ぼす狂暴な存在として描かれ、エギルの妻ランが船に網をかけて水中に引き込むとされた。したがって、後期の『サガ』では、暴風になったとき、水夫たちがランの館(やかた)に空手で行かないように、主人公が船上で金(きん)を分配することが歌われている。古代英語で海を表す詩語はガルセックであって槍(やり)を持つ人を意味し、三叉(さんさ)の矛(ほこ)を持ったポセイドンのイメージとよく似ている。
 エギルの9人の娘が、航海する船を押さえて止めるという伝説の主題は、中世ドイツの詩や伝説にも現れる。中世ヨーロッパを通じて、大洋すなわち大西洋は無気味な世界と考えられ、そこにさまざまな化け物が空想され、船乗りが裸の人魚を見ると海が荒れるとか、悪魔が迷える魂を迎えにきたとき、また海上で口笛を吹くときには嵐がおこるとかいったことが信じ込まれた。わが国でも、船幽霊(ふなゆうれい)、海坊主(うみぼうず)など、海の妖怪(ようかい)の数は多く、各地の漁村で語り伝えられていた。
 海のかなたに神秘的な未知の国があるという空想は、古くはプラトンのアトランティスや、ピュテアス(前4世紀の探検家)が伝える地の果てのトゥーレなどにみられる。中国の伝説で、東海にあるとされた仙人の住む霊山である蓬莱(ほうらい)山もその類(たぐい)であり、秦(しん)の始皇帝は、その島の黄金の宮殿に蔵された不老不死の薬を求めて、使者を遣わしたと伝えられる。わが国の上代人の間にあった海神(わたつみ)の宮ないしは竜宮の観念は、海のかなた、または海底にあると信ぜられた一種の理想郷を表す。彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫(とよたまひめ)の神話、浦島太郎の伝説などは、海神の宮と人間界との交渉を主題としている。また、上代人は、根の国、底つ国という、死者の霊の赴く世界を水平線のかなたに想像していたようである。沖縄のニライも同様の観念である。北欧神話にも、海を渡って行く死者の観念がある。イギリスの中世叙事詩『ベオウルフ』には、デネのスキュルディング王朝の創始者スキュルドが死んだとき、股肱(ここう)の臣たちは、彼の遺体を宝物とともに船に乗せ、潮に乗せて大海に送り出した、と歌われている。また中世ヨーロッパには、遠洋航海者が大西洋のかなたに理想郷をみいだした話がいくつか伝えられている。たとえば、アイルランドの布教者聖ブレンダヌス(484―577)が、17人の修道士とともに、小舟で「聖者の約束の島」を発見するため大西洋を7年間航海し、ついに目的の島に至った、という伝説が『聖ブレンダヌスの航海物語』として残っている。また8世紀初め北アフリカからイスラム教徒が侵入したとき、イベリア半島のポルトの大司教が、6人の司教を伴って大西洋に逃れ、ある島にたどりついて「シボラの七つの都」を建設し、大いに繁栄した、という伝説もある。これらの地名は大航海時代の地図にも記入され、航海者たちの目標の一つとなった。
 海水に霊力があり、病気を治す力をもっているという信仰は、世界各地にみられる。ギリシア時代には悪霊を追い払うため海水で身を清めたと伝えられるし、ヨーロッパの多くの地方で、傷や病を治療するために海水が用いられる習慣がみいだされる。[増田義郎]

交通路としての海


 海は、ときとして荒れ狂い、人間に災厄をもたらすが、にもかかわらず太古の昔から、人間にとって重要な交通路として利用されてきた。15世紀末からの大航海時代までは沿岸航海が主体であったが、それでもバイキングのように、遠洋航海をした例は珍しくない。ホメロスの『オデュッセイア』に示されたように、ギリシア人は地中海の海洋民族であったが、ジブラルタル海峡を越えて大西洋に進出していたらしい。前500年ごろカルタゴ人ハンノが西アフリカ航海を行ったことを示す史料があり、プリニウスによれば、マウリタニア王ユパ(前25ころ―後25ころ)がカナリア諸島に航海したという。またヘロドトスは、前6世紀エジプト王ネコの時代にフェニキア人がアフリカ回航をしたと伝えている。アリアヌスの『インド誌』に引用された、アレクサンドロス時代のネアルコスの『インド航海誌』は、150隻の船隊でインド洋を航海したと記している。
 1世紀後半の無名ギリシア人による『エリトラ海案内記』は、紅海、東アフリカ、インド洋の旅行、航海の手引書として知られている。古代世界に開拓されたインド洋の航海通商路は、中世のアラブ人に引き継がれ、東アジアで中国人や琉球(りゅうきゅう)人が開拓した航路と結び付いて、東と西をつなぐ遠距離貿易の発達を促した。このインド洋貿易圏の末端がイスラム時代に地中海世界に香料、絹などの奢侈(しゃし)品の販路を求めて市場を開拓したため、イタリアの海事都市が急速に発達し、やがてそれがイベリア半島のスペイン、ポルトガルを刺激して開始されたのが大航海時代である。大航海時代に大西洋、太平洋の航行が開始されたため、地中海からインド洋を経て東シナ海に至るヨーロッパの海洋貿易圏が一挙に拡大し、全世界的なコミュニケーション・システムが、海を媒介として成立した。[増田義郎]
『宇田道隆著『海洋科学基礎講座補巻 海洋研究発達史』(1978・東海大学出版会) ▽アラステア・クーパー著、奈須紀幸他訳『世界海洋アトラス』(1983・講談社) ▽浜田隆士編『海と文明』(1987・東京大学出版会) ▽和達清夫監修『海洋大事典』(1987・東京堂出版) ▽野崎義行著『地球温暖化と海』(1994・東京大学出版会) ▽東京大学海洋研究所編『海洋のしくみ』(1997・日本実業出版社) ▽寺本俊彦著『地球の海と気候』(2000・御茶の水書房) ▽日本海洋学会編『海と環境』(2001・講談社) ▽佐々木忠義編『海と人間』(岩波ジュニア新書) ▽R・カーソン著、日下実男訳『われらをめぐる海』(早川書房・ハヤカワ文庫)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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