海蔵寺跡
かいぞうじあと
臼杵川下流左岸、寺前・寺山にあった古刹で、羽衣山と号した。「豊後国志」によれば、明応三年(一四九四)大友政親が羽衣山上に一禅宇を営み、東震を開祖としたと伝える。「臼杵小鑑」は文明一四年(一四八二)要応玄綱の開山とする。本尊は正観音で、仏工丹慶の作という(寺社考)。「臼杵小鑑」によると門前・戸室の丘などはみな当寺域に属し知足庵・呑碧庵など塔頭も数多くあった。鎮守は天神祠(小野天神)という。大友宗麟の破却で中絶したが、寛文年間(一六六一―七三)月桂寺開山湖南の末弟宗雲が旧跡に結庵、貞享四年(一六八七)鉄帚が古跡を拝領し、元禄一三年(一七〇〇)当地に隠居した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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