海蔵寺(読み)かいぞうじ

日本歴史地名大系 「海蔵寺」の解説

海蔵寺
かいぞうじ

[現在地名]鎌倉市扇ガ谷四丁目

源氏げんじ山の北、会下谷えげがやつに位置する。臨済宗建長寺派、扇谷山と号する。本尊は薬師如来。開基上杉氏定、開山空外。永正七年(一五一〇)の海蔵寺修造勧進状写(県史三)に「関東将軍永安寺殿(足利氏満)壁山公御代、応永元年甲戌閏月、扇谷先祖普恩寺(上杉氏定)仙岩公、奉君命所建立也」とあることから、開基上杉氏定で応永元年(一三九四)創建といわれている。この勧進状は同年から年を隔てたものであり、またこの年には閏月のないことから、疑問が残る。しかし「鎌倉志」所引の同二二年海蔵寺鐘銘に「大檀那沙弥常継(上杉氏定)」とあり、当寺と氏定の関係、また「殿中以下年中行事」などと併せ考えると応永初期の創建は確かであろう。開山について前掲勧進状写に「開山空外和尚塔曰仏超庵、建長開山大覚禅師(蘭渓道隆)五世孫旺法道也」とある。寺蔵「源翁禅師伝」は空外を弘安三年(一二八〇)没の心昭空外、諡号源翁禅師としているが、没年から考えて疑問。寺蔵「海蔵開山祖師大和尚」の位牌には永享六年(一四三四)の没年が記されているが、不明の点が多い。

海蔵寺
かいぞうじ

[現在地名]品川区南品川四丁目

本光ほんこう寺の南にあり、東に願行がんぎよう寺が並ぶ。深広山無涯むがい院と号し、本尊阿弥陀如来。時宗。「風土記稿」は永仁六年(一二九八)遊行二祖他阿真教の起立とし、永享六年(一四三四)五月一三日の妙国みようこく寺領の四至を示した某充行状(妙国寺文書)に「南品川之端芝原之地」の北限としてみえる「荒居道場」を当寺の前身と推定している。武蔵国での時宗は他阿真教が永仁期を中心に布教し各地に道場を創設したが、嘉元元年(一三〇三)に相模国当麻たいま(現神奈川県相模原市)の地に無量光むりようこう寺を開き時衆の拠点とした。武蔵国の道場としては品川の荒居あらい道場のほか神田の芝崎しばざき道場、石浜いしはま道場(現台東区)が重要な遊行の拠点となった。

海蔵寺
かいぞうじ

[現在地名]田辺市南新町

旧田辺町の北東端近くにある。臨済宗妙心寺派。山号慈航山、本尊釈迦如来。田辺藩古記録(宇井文書)所収の寛文六年(一六六六)の田辺領寺院書上によれば、慶長一〇年(一六〇五)田辺城経営に伴い、時の田辺領主浅野氏重が建立、叔父にあたる天叔を招いて開山としたという。天叔は数年後、興国こうこく(現和歌山県由良町)へ去り、和歌山藩主浅野氏の安芸転封に伴い氏重も広島へ去ったため、当寺は一時無住となった。

海蔵寺
かいぞうじ

[現在地名]焼津市東小川六丁目

黒石くろいし川の支流ふけの川左岸にある。宝城山と号し、時宗。本尊は延命地蔵。初め天台宗の寺院で安養あんよう寺と称し、後白河院の勅願所であったと伝える。嘉元三年(一三〇五)時宗の二祖真教が諸国巡行の折、当寺住僧勧海が真教の徳を慕い天台宗から時宗に改めたといい、真教を開山とする。明応九年(一五〇〇)城之腰じようのこし村の沖で漁夫が地蔵尊を引揚げ、当寺に安置、本尊とした。

海蔵寺
かいぞうじ

[現在地名]弘前市西茂森町二丁目

西茂森にししげもり町禅林街三十三ヵ寺の一つ。長勝ちようしよう寺を主座とする上寺のなかにある。宝積ほうしやく院と泉光せんこう院の間に位置。大浦山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。もと長勝寺末寺。寺禄三〇石。

長勝寺並寺院開山世代調(長勝寺蔵)によれば、天文三年(一五三四)吉田よした(賀田)村坪貝(現中津軽郡岩木町)に創立されたとある。開山は江山智永。開基は大浦盛信。曹洞諸寺院縁起志(宗徳寺蔵)によれば、明応年間(一四九二―一五〇一)大浦光信種里たねさと(現西津軽郡鰺ヶ沢町)に創立したとある。

海蔵寺
かいぞうじ

[現在地名]小田原市早川

早川はやかわ集落の西、石垣いしがき山入口にある。宝珠山と号し、曹洞宗。本尊は阿弥陀如来。開山は小田原城主大森頼明の子安叟宗楞で、嘉吉元年(一四四一)の創建と伝える。天文二年(一五三三)一一月の北条氏綱制札写(県史三)に「早川海蔵寺」とある。もと千葉県市川いちかわ総寧そうねい寺末。

文明一四年(一四八二)安叟は弟子十哲と四老の位次を記している(「宗楞置文写」同書)。弘治元年(一五五五)結城政勝が北条氏康に謁する際、「海蔵寺の和尚を以て被申入」とあり(北条記)、永禄一一年(一五六八)七月五日の北条家朱印状写(県史三)にも「海蔵寺就上洛、為路銭千疋被遣候」とあるなど、北条氏と深い関係にあった。

海蔵寺
かいぞうじ

[現在地名]西区田方一丁目

曹洞宗。久遠山と号し、聖観音を本尊とする。開基年代は不詳であるが、永正年間(一五〇四―二一)の立庵を中興の祖とする。江戸時代は佐方さかた洞雲どううん(現佐伯郡廿日市町)の末寺であった。「国郡志下調書出帳」によれば、草津くさつ城に拠った児玉就方が天正一二年(一五八四)に寄進した鐘があり、その鐘銘を載せる。そのほか同一四年に羽仁美濃守親玄が寄進した鐘もあったという。

境内には浅野氏の墓所がある。古江ふるえ村の給主であった広島藩家老堀田浅野家の祖堀田高英は、堀田高勝の子で寛永一八年(一六四一)浅野姓を許されて家老となったが、同年七六歳で没し、光照院と諡して当寺に葬られた。

海蔵寺
かいぞうじ

[現在地名]山田町船越

船越ふなこし御所跡の北方、いわさわにある。月松山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。江戸時代には永徳えいとく(現胆沢郡金ヶ崎町)末で、報恩ほうおん(現盛岡市)の支配下にあった(邦内郷村志)。嘉吉二年(一四四二)永徳寺三世無為継学の開山と伝える。境内に正和四年(一三一五)銘の石塔婆が立ち、「正和四年四月二日、為又三郎殿」とある。船越御所の大手口にあたり、船越村の地頭船越氏の菩提所であると同時に御所警衛の任にあったことが察せられる。

海蔵寺
かいぞうじ

[現在地名]桑名市北寺町

北寺きたてら町西側北端にある。法性山海蔵禅寺と称し、曹洞宗。本尊十一面観音。もとは西方にしかた村にあり、東明山海善かいぜん寺と称していたとも伝えられるが、開基は不詳、「久波奈名所図会」には「寛永年中巨厳和尚中興せり」とある。元禄一四年(一七〇一)に火災にあい、旧記・寺宝を焼失した。明治一二年(一八七九)の境内四二五坪。境外所有地は畑一畝四歩、宅地一九歩が同町内にある。当寺には宝暦治水工事に従事して死亡した薩摩藩士二四名の墓があるが、そのうち薩摩藩家老平田靭負以下一〇名は堤原の安竜つつみはらのあんりゆう院に祀られていたが、明治四二年に当寺へ移された。

海蔵寺
かいぞうじ

[現在地名]岡垣町内浦

湯川ゆがわ山の東麓、海蔵寺谷にある臨済宗大徳寺派の寺院。福聚山と号し、本尊の木造馬頭観音坐像は県指定文化財。開山は大暁祖一(正慶二年没)といい(続風土記拾遺)、天明二年(一七八二)作製の紙本著色大暁像を蔵する。南北朝期に荒廃したが、竺裔玄中が永享一二年(一四四〇)に中興、中興施主は須藤大膳亮という(続風土記)。寺の裏には当寺で自害したとされるおか城主麻生隆守の墓がある(元禄五年には吉木隆守院にも隆守の墓が建立されている)

海蔵寺
かいぞうじ

[現在地名]吉田町立間尻

立間尻たちまじり浦を西方に見下ろす谷あいに立地し、西方に犬尾いぬび城跡を望む。幡竜山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊釈迦牟尼仏。

延宝九年(一六八一)の「吉田古記」には、この寺はもと法花津領主範延の氏寺であったとしているが、創建年代は不明である。宗派も不定で、同書には「已前住僧、或真言、或曹洞、無差別」としている。「清良記」には永禄元年(一五五八)、豊後の大友勢と西園寺麾下の土居宗雲の軍勢が、海蔵寺前の浜で争った記事がみえる。

海蔵寺
かいぞうじ

[現在地名]吉良町荻原 大道通

県道西尾―吉良線に沿い、名鉄荻原駅の西一〇〇メートル。荻原山大雄院と称し、浄土宗西山深草派。本尊阿弥陀如来。文明二年(一四七〇)善明ぜんみようの里(現西尾市)に創建されたのが始まりという。その後荻原おぎわら細畑ほそばたの里に移り、山号を荻原山と称す。寛永一八年(一六四一)現在地に移るという。

海蔵寺
かいぞうじ

[現在地名]土浦市沖宿町

沖宿おきじゆくの低地にある。宝珠山と号し、曹洞宗。本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば応永年間(一三九四―一四二八)小田治朝の開基。開山は明堂鹿聡。初めは寺の西北の台地上にあったが、文禄年間(一五九二―九六)現在地に移った。そのため治朝の墓は台地の旧寺域にある。

奥書に承安五年(一一七五)とある紙本大般若波羅蜜多経(県指定文化財)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「海蔵寺」の解説

海蔵寺

(兵庫県神戸市灘区)
灘百選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の海蔵寺の言及

【投込寺】より

…浄閑寺の過去帳には,戒名が〈売女〉〈遊女〉と記された者もあり,現在はこうした無縁仏を一括して吉原総霊塔が建立されている。また江戸四宿の飯盛(めしもり)女を埋葬した品川の法禅寺,善福寺,海蔵寺,新宿の成覚(じようかく)寺,板橋の文殊院,千住の金蔵院のうち,海蔵寺,成覚寺は投込寺と呼ばれている。吉原【宮本 由紀子】。…

※「海蔵寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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