深河谷村(読み)ふかだにむら

日本歴史地名大系 「深河谷村」の解説

深河谷村
ふかだにむら

[現在地名]一宮町深河谷

揖保(いぼ)川上流右岸に位置し、支流深河谷川流域と合流点南部の平地を主とする。揖保川対岸は生栖(いぎす)村。慶長国絵図に「谷村」とみえ、その北西方の「池のかいつ」は現在の深河谷地内池(いけ)ノ垣内(かいち)であろう。領主の変遷は延宝七年(一六七九)まで西安積(にしあづみ)村と同じ。同年幕府領(「本多家譜」東京大学史料編纂所蔵など)、明和六年(一七六九)尼崎藩領、文政一一年(一八二八)幕府領となり幕末に至る(岡本家文書・旧高旧領取調帳など)。正保郷帳に深河内村とみえ、田方五七石余・畠方四九石余。下村氏手控帳(下村家文書)によると、寛文―延宝(一六六一―八一)には田四町五反余・畑七町七反余、家数二七・人数一三八、馬一八・牛二三、小物成は楮役七匁余・桑役(真綿)一貫六〇〇匁。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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