日本歴史地名大系 「清川河岸」の解説 清川河岸きよかわかし 山形県:東田川郡立川町清川村清川河岸[現在地名]立川町清川最上川と立谷沢(たちやざわ)川の合流点のすぐ下流に位置。当河岸より最上川の上流は最上峡とよばれる難所で、当河岸は庄内藩の重要な宿駅であった。庄内藩では御茶屋(現清川小学校校庭)を設けて藩主の江戸参府・帰城の際の宿泊所とした。そのとき使われる川船は御召船以下約一三〇艘で、一行は七〇〇人にものぼった(立川町の歴史と文化)。役所船も常備され、元禄一〇年(一六九七)の酒田・清川船数覚(東北学院大学図書館古田文庫蔵)によると御伝馬船八・石取船四・御飛脚船二・所々船七、水主は一五六人で、うち一〇〇人は清川勤人足であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by