日本歴史地名大系 「済恩寺跡」の解説 済恩寺跡さいおんじあと 奈良県:奈良市西ノ京地区斎音寺村済恩寺跡[現在地名]奈良市尼辻町添下(そえしも)郡四条(しじよう)村(斉音寺村)にあった古代寺院。「類聚国史」延暦一一年(七九二)一一月一四日の記事に「聴捨故入唐大使贈従二位藤原朝臣清河家為寺、号曰済恩院」とある。護国寺本「諸寺縁起集」興福院条に「興福院 興福寺 福田院 斉恩寺 已上四箇伽藍、藤氏□□氏寺也」、続いて済恩寺条に「清川(相宰也藤原)大使従唐送料物令作、在唐作大臣、夫件大使奉送鑒真和尚矣」とみえ、延暦一一年に藤原清河の故宅を寺とし、藤原氏によって営まれたことが知られる。 済恩寺跡さいおんじあと 奈良県:北葛城郡広陵町斎音寺村済恩寺跡[現在地名]広陵町大字三吉小字ナガレ三吉(みつよし)の斉音寺(さいおんじ)集落の南東、記三上(きさんじよう)神社東側に所在したとみられる古代寺院。大門(だいもん)・ハス池(いけ)などの小字が遺存し、付近から平安・鎌倉期の古瓦・瓦器が出土する。貞和三年(一三四七)二月日の興福寺造営料段米田数并済否注進状(春日大社文書)の広瀬(ひろせ)郡条に一乗院方として「済恩寺三十町二段七十歩」とある寺で、唐招提寺北方の済恩寺と区別するため箸尾(はしお)済恩寺(大乗院寺社雑事記、三箇院家抄)とも称した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by