渋川義季(読み)しぶかわ よしすえ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渋川義季」の解説

渋川義季 しぶかわ-よしすえ

1314-1335 鎌倉-南北朝時代の武将
正和(しょうわ)3年生まれ。渋川幸子(こうし)の父。正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年(1333)一門の当主足利尊氏にしたがい六波羅探題を攻撃。建武(けんむ)政権では,鎌倉府関東廂番(ひさしばん)一番筆頭となる。のち北条時行のおこした中先代(なかせんだい)の乱の鎮圧にむかい,武蔵(むさし)女影原(おなかげはら)で敗れ,建武2年7月22日自害。22歳。通称は又三郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の渋川義季の言及

【渋川氏】より

…清和源氏。足利氏の支族。足利泰氏の子義顕(初名兼氏)が上野国渋川荘を所領したのに始まるという。義顕の曾孫義季は足利尊氏,直義に属し,1335年(建武2)北条時行勢を武蔵国女影(おなかげ)原に防いで自刃。のちその女幸子は足利義詮夫人となった。義季の嫡孫(幸子の甥)義行は65年(正平20∥貞治4)鎮西探題に起用されたが,南朝勢力の強い九州に入れず,やがて解任された。その子渋川満頼は今川了俊解任後の九州探題となり,96年(応永3)博多に着任した。…

※「渋川義季」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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