渡部お糸(読み)ワタナベ オイト

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「渡部お糸」の解説

渡部 お糸(初代)
ワタナベ オイト


職業
民謡歌手

肩書
安来節家元

本名
渡部 糸(ワタナベ イト)

生年月日
明治9年 11月6日

出生地
島根県 能義郡安来町(安来市)

経歴
7歳で奉公に出て働き、仕事唄として安来節を習う。安来節の低俗化を憂う福島豊市や田中謙助の指導を受け、次第に上達。明治の末頃に島根県を訪れた画家横山大観や文部省の役人が彼女の唄を聴いて大いに感動し、その郷土芸能としての保存と後継者の育成を勧められたといわれている。明治44年福島を中心とする安来節保存会の結成に参加し、以後その活動の場が拡大。大正5年に彼女の唄がレコードに吹き込まれて発売されると、各方面で評判となり、同年神戸で行われた全国俚謡名人大会で優勝。6年には東京公演を成功させ、やがて大阪の道頓堀や東京浅草の木馬館にも進出。のちお糸一座を組織して日本のみならず朝鮮満州にも巡業を行い、全国的に大流行した。13年に引退。安来節を日本有数の民謡に育て上げた功績は大きく、昭和23年文化功労者として島根県知事の表彰を受けた。

受賞
全国俚謡名人大会優勝〔大正5年〕,島根県知事表彰〔昭和23年〕,安来市名誉市民

没年月日
昭和29年 3月27日 (1954年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「渡部お糸」の解説

渡部 お糸(1代目)
ワタナベ オイト

明治・大正期の民謡歌手 安来節家元。



生年
明治9年11月6日(1876年)

没年
昭和29(1954)年3月27日

出生地
島根県能義郡安来町(現・安来市)

本名
渡部 糸(ワタナベ イト)

主な受賞名〔年〕
全国俚謡名人大会優勝〔大正5年〕,島根県知事表彰〔昭和23年〕,安来市名誉市民

経歴
7歳で奉公に出て働き、仕事唄として安来節を習う。安来節の低俗化を憂う福島豊市や田中謙助の指導を受け、次第に上達。明治の末頃に島根県を訪れた画家横山大観や文部省の役人が唄声を聴いて大いに感動し、その郷土芸能としての保存と後継者の育成を勧められたといわれている。明治44年福島を中心とする安来節保存会の結成に参加し、以後その活動の場が拡大。大正5年にレコードが発売されると、各方面で評判となり、同年神戸で行われた全国俚謡名人大会で優勝。6年には東京公演を成功させ、やがて大阪の道頓堀や東京浅草の木馬館にも進出。のちお糸一座を組織して日本のみならず朝鮮や満州にも巡業を行い、全国的に大流行した。13年に引退。安来節を日本有数の民謡に育て上げた功績は大きく、昭和23年文化功労者として島根県知事の表彰を受けた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渡部お糸」の解説

渡部お糸(初代) わたなべ-おいと

1876-1954 明治-大正時代の民謡歌手。
明治9年11月6日生まれ。子どものころから安来節(やすぎぶし)をうたい,明治44年保存会の結成で活動の場がひろがる。大正5年のレコード吹き込み,全国俚謡(りよう)名人大会での優勝,東京浅草木馬館での常時公演,全国巡業などで安来節を日本有数の民謡にそだてあげた。現代まで4代をかぞえる。昭和29年3月27日死去。77歳。島根県出身。本名はいと。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android