温泉庄(読み)ゆのしよう

日本歴史地名大系 「温泉庄」の解説

温泉庄
ゆのしよう

古代二方ふたかた温泉(和名抄)の郷域に成立した庄園。京都蓮華王院(三十三間堂)領。庄域は現温泉町の中央部から北東部にかけてと推定され、庄内竹田たけだ寺木てらぎ二村で構成されていた。長寛三年(一一六五)六月日の阿闍梨聖顕寄進状案(高山寺文書)によると温泉郷「竹田・寺木村」は平季盛相伝の私領で、同郷の郷司・百姓と郷の領有を争った季盛は、康治元年(一一四二)頃に国司に訴えてその領掌を認められ、保延五年(一一三九)これを子息季広に譲渡。季広はのちに調度文書を添えて聖顕に譲り、聖顕は長寛三年六月年々能米一〇〇石を進納する代わり、領家職は聖顕の門弟が相伝することを条件としてこの所領を蓮華王院に寄進した。同月但馬国守藤原親弘は留守所に対して官物と臨時雑役を免除するように命じ(「但馬国司庁宣案」同文書)、同年一〇月(改元して永万元年)には院使の公文宮内録中原盛景が下向示を定めている(永万二年三月八日「後白河院庁下文案」同文書など)。なお聖顕は僧綱の功を募って鐘楼一宇を蓮華王院に寄進、それと交換に当庄の立券・庄号が許されたという(元暦元年四月日「後白河院庁下文案」同文書)

前掲聖顕寄進状案などによると温泉郷竹田・寺木村の四至は、東は七美しつみ射添いそう郷、南は峰、西は二方郡八太はた郷上保、北は同郷下保であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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