朝日日本歴史人物事典 「湛睿」の解説
湛睿
生年:文永8(1271)
鎌倉末・南北朝時代の学僧。律僧で華厳学の大家であった。房名は本如房。23歳ごろには般若寺(奈良市)真円について戒律を学ぶ。正安2(1300)年以来,関東に住し,徳治1(1306)年には極楽寺(鎌倉市)で,延慶3(1310)年には称名寺(横浜市)で三宝院流の真言を学ぶ。正和2(1313)年,上洛して久米田寺(大阪府岸和田市)を拠点として凝然らについて修学に励む。文保2(1318)年10月には再び鎌倉に戻り,暦応2/延元4(1339)年に第3代称名寺長老となった。<著作>『華厳演義鈔纂釈』<参考文献>櫛田良洪『真言密教成立過程の研究』,納富常天「湛睿の事績」(『駒沢大学仏教学部論集』16号)
(松尾剛次)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報