日本歴史地名大系 「湯口村」の解説 湯口村ゆぐちむら 岩手県:花巻市湯口村[現在地名]花巻市湯口奥羽山脈中を南東流する豊沢(とよさわ)川流域に位置し、集落は同川沿いのわずかな平地を中心に散在する。東方は小瀬川(こせがわ)村・鍋倉(なべくら)村・円満寺(えんまんじ)村など、北と西は山嶺、南は豊沢川を境に太田(おおた)村。「ゆくち村百姓中」宛の天正一八年(一五九〇)と推定される八月二〇日の浅野長吉下知状(宝翰類聚)によれば、浅野長吉は逃散した百姓・地下人に対し、還住して耕作・商売などを行うよう命じている。慶長八年(一六〇三)と推定される北松斎信愛宛の南部利直知行宛行状(宝翰類聚)に湯口がみえ、同一五年の同人宛南部利直黒印状(盛岡北文書)によると当村の高は二〇三石余。正保国絵図によれば一一〇石余。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付では本村は万丁目(まんちようめ)通に属し、蔵入高二九三石余、七ヵ年平均の免は三ツ五分六厘四毛。 湯口村ゆぐちむら 青森県:中津軽郡相馬村湯口村[現在地名]相馬村湯口北流する栩内(とちない)川が東流する岩木川に合流する地点の南側の平坦地にある。東は栩内川を隔てて下湯口(しもゆぐち)村(現弘前市)、北は岩木川を隔てて鳥井野(とりいの)村(現岩木町)、西は黒滝(くろたき)村に接する。天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に湯口とある。湯口茶臼(ゆぐちちやうす)館跡は南北朝時代朝廷方についた溝口氏の居館と伝え、溝口氏はのち溝江氏と改めたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by