日本歴史地名大系 「湯江村」の解説
湯江村
ゆえむら
現有明町域の北西部側を占める。北東部は海(有明海)に臨み、湯江川や
建武五年(一三三八)二月九日の一色道猷宛行状(深堀文書)に「温江大野田崎村」とみえ、村内の孫次郎入道・同四郎・同小次郎跡の田地九町などが勲功の賞として深堀政綱に与えられており、三月には施行状が出ている(同月一七日「小俣道剰施行状」同文書)。政綱が当地に引取のため赴くと、湯江弥次郎が異議を申立てたが、証拠書類を提出しなかったため暦応二年(一三三九)政綱に引渡すよう命じられている(同年八月二七日「一色道猷書下」同文書)。このように北朝方の勢力が浸透していたが、正平八年(一三五三)二月の筑前
湯江村
ゆえむら
現高来町域の北東部に位置し、村の南東部で
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報