湯涌村(読み)ゆわくむら

日本歴史地名大系 「湯涌村」の解説

湯涌村
ゆわくむら

[現在地名]金沢市湯涌町

上荒屋かみあらや村の南に位置する。地名は、昔から地内に出湯(湯涌温泉)があったことに由来するという(加賀志徴)。当村を含み、石川・河北かほく両郡にまたがる浅野川最上流域一帯は湯涌郷と通称された。「三州志」では当村・西にし市瀬いちのせ村・白見しろみ村・まがり村など石川郡で一三ヵ村、東市瀬村・平下ひらしも村・横谷よこたに村・小原おはら村など河北郡で一八ヵ村を郷域に含まれる村々としてあげる。なお「加賀志徴」は同郷のうち当村および周辺の数ヵ村は湯涌谷ともよばれたと記す。

文明七年(一四七五)加賀守護富樫政親に敗れて越中に逃れた河北・石川両郡の一向一揆勢力のうち、和議の仲介を求めて洲崎慶覚とともに越前吉崎よしさき(現福井県金津町)蓮如のもとへ赴いた使者に「湯湧次良右衛門入道行法」がいる(天正三年記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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