朝日日本歴史人物事典 「源厳子」の解説
源厳子
生年:貞観2頃(860)
平安前期,清和天皇の女御。温明殿女御ともいわれる。源能有の娘で,文徳天皇の孫に当たる。貞観13(871)年,尚侍源全姫60歳の賀に毘盧舎那仏の絵を作り功徳を修めたが,その願文は菅原道真の作。厳子は当時まだ幼く,父の計画によるものであろう。元慶2(878)年3月退下し,従四位下で死去。10代だったと思われる。
(児島恭子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
(児島恭子)
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