ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カルロマン」の意味・わかりやすい解説
カルロマン
Carloman; Karlmann
[没]880.9.22.
東フランク王ルートウィヒ2世 (ドイツ王)の長男。カルルマンとも呼ばれる。叔父の西フランク王カルルが西ローマ皇帝カルル2世 (禿頭王)となり,父はこれに対抗したため教皇から破門された。 877年叔父が死ぬと,カルロマンを支持する貴族たちは教皇に強制して,彼を実質上の皇帝にした。 881年弟のカルル3世 (肥満王)が帝位を継承した。
カルロマン
Carloman
[没]884.12.12.
西フランク王(在位 879~884)。ルイ2世の二男。879年父ルイ2世の死去を受け,兄ルイ3世と共同で王位についた。2人は父王の最初の妻との間の子だったが,それは祖父カルル2世が認めない結婚だったため,王として受け入れられるまでには曲折があった。882年兄ルイ3世の死により単独の王となった。狩猟中の事故で死亡。
カルロマン
Carloman; Karlmann
[没]771.12.4.
カロリング朝時代のフランク王 (在位 768~771) 。カルルマンとも呼ばれる。ピピン (小ピピン) の次男,カルル1世 (大帝)の弟。父の死後,兄カルルとフランク王国を共同統治。若くして病死したため,父以来のザクセン族征討は兄の手に残された。
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