〈おんめいでん〉とよむ説もある。平安宮内裏の殿舎。818年(弘仁9)に存したことが知られるから,おそらく平安遷都の初めから存在したのであろう。その位置は,紫宸殿の東北にある綾綺殿(りようきでん)と中庭を隔ててその東に存し,大きさは東西4間,南北9間と伝える。最初のころの用途は不明であるが,9世紀半ばの清和天皇の女御源厳子が〈温明殿女御〉と称されているから,このころは女御の居所であった。その後(時期不明,一説に宇多天皇のとき)ここに賢所(かしこどころ)が安置され,また大刀,節刀,関契,駅鈴など,律令制下の帝権を象徴する重器も保管される宮中の重要な殿舎となった。なお同殿には賢所に奉仕する女官の候所(内侍所(ないしどころ))が置かれたことから,賢所のことを内侍所とよぶに至った。後になって,賢所が春興殿に安置されるようになっても,なおそれを温明殿代と称しているのは,両者の結びつきの深いことを示す。
執筆者:今江 広道
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平安宮内裏(だいり)の殿舎の名。「おんめいでん」とも読む。内裏の東側中央にある宣陽門を入ってすぐにあり、西隣の綾綺殿(りょうきでん)とは3か所の渡殿(わたどの)で結ばれる。檜皮葺(ひわだぶ)きで柱間(はしらま)が南北9間、東西2間の母屋(もや)の四面に廂(ひさし)がある西向きの建物で、中央を東西に横切って、幅1間の馬道(めどう)が通っている。馬道の南側の母屋は神座あるいは神殿とよばれ、神鏡を安置する賢所(かしこどころ)があったが、鎌倉時代以降は南にある春興殿(しゅんこうでん)に移った。また、温明殿には内侍(ないし)などの女官が伺候(しこう)する内侍所(ないしどころ)があり、11世紀から始まった内侍所御神楽(みかぐら)は、12月に温明殿の庭で行われた。
[吉田早苗]
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…その位置は,紫宸殿の東北にある綾綺殿(りようきでん)と中庭を隔ててその東に存し,大きさは東西4間,南北9間と伝える。最初のころの用途は不明であるが,9世紀半ばの清和天皇の女御源厳子が〈温明殿女御〉と称されているから,このころは女御の居所であった。その後(時期不明,一説に宇多天皇のとき)ここに賢所(かしこどころ)が安置され,また大刀,節刀,関契,駅鈴など,律令制下の帝権を象徴する重器も保管される宮中の重要な殿舎となった。…
※「温明殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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