滝口村(読み)たきぐちむら

日本歴史地名大系 「滝口村」の解説

滝口村
たきぐちむら

[現在地名]白浜町滝口

白浜村の西に位置し、南は太平洋に面した海岸段丘の農・漁村。東部を長尾ながお川が蛇行しながら太平洋に注ぐ。滝之口・滝野口などとも記される。村内には漁業集落として川下かわしも浦・砂取すなどり浦があり、漁場争論や議定の際には村扱いされていた。「梁塵秘抄」巻二(四句神歌)に「関より東の軍神、(中略)安房の洲・滝の口」とみえ、滝の口は当地の下立松原しもたてまつばら神社(小鷹明神・明神社とも称された)をさすといわれる。「義経記」(頼朝謀反の事)によると、相模石橋山合戦に敗れた源頼朝が治承四年(一一八〇)八月二六日の早朝に真名鶴まなづる(現神奈川県真鶴町)より船で脱出し、「二十八日の夕暮に安房国洲の崎といふところに御舟を馳せあげて、その夜は滝口の大明神に通夜ありて、夜と共に祈誓をぞ申されけるに」とみえる。

慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録に滝之口村とみえ、高九七六石余(うち田高六一七石余)、里見氏直轄領。同一一年の里見家分限帳では同直轄領九四九石余、ほかに大神宮明神(現館山市安房神社)領一一石・明神領一〇石・滝口天神宮領六石がある。正保郷帳では田方五三六石余・畑方二五九石余、旗本三枝領、ほかに朱印地として小鷹おだか明神社領一〇石・天神宮社領六石があった。


滝口村
たきのくちむら

[現在地名]袖ケ浦市滝の口

吉野田よしのだ村の北、小櫃おびつ川左岸に位置する。元和三年(一六一七)知行宛行状(譜牒余録)に村名がみえ、当村三六石余が旗本長井領から同天羽領となった。正保国絵図によると高一〇九石余。寛文四年(一六六四)には高岡藩領があった(寛文朱印留)。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数二五、三卿の清水領と旗本興津領。天保一一年(一八四〇)望陀郡戸口録、旧高旧領取調帳では幕府領と興津領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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