蔵人所(くろうどどころ)に属する禁中警衛の武士。宮中清涼殿の北東,御溝水(みかわみず)の落ちるところを宿所としていたので,滝口の武者といわれた。宇多天皇の寛平年間(889-898)にはじめて置かれ,はじめ10人,のち20人となり,白河天皇の代には一時30人に増員された。五位,六位の武勇ある侍のなかから,ことに弓術に秀でた者を補し,宮中の警衛にあたるほか,天皇の乗船に供奉し,また諸種の雑役にあたった。20名のうち勤務年数の長い者から一﨟(ろう),二﨟,三﨟の3人を上﨟(じようろう)といい,四﨟を事行(じぎよう)といった。上﨟は10日,四﨟以下は5日の勤務であった。滝口は御所に宿直するが,昇殿は許されず,宿直する者は蔵人がとりつぎ,滝口はその姓名を名のる。これを宿直申(とのいもうし),問籍(もんじやく),名対面(なたいめん)などといった。天皇が退位して上皇となると,滝口の多くは引き続き院の武者所に武者として奉仕した。
執筆者:笹山 晴生
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平安・鎌倉時代、蔵人所(くろうどどころ)の被管として置かれた内裏(だいり)勤番の武士。寛平(かんぴょう)年間(889~898)に創設された。その員数は当初10人であったが、のちには20~30人も置かれ、源平重代の者が補せられた。その名は、清涼殿(せいりょうでん)の北、承香殿(しょうきょうでん)に行く北廊付近の御溝水(みかわみず)の落ち口(滝口)に滝口の陣があり、そこに詰めていたことに由来する。その任命は、とくに弓矢の上手な者を試験して採用し、月初めに提出する昼夜の出勤日数を記入した月奏(げっそう)によって勤務を評定された。
[渡辺直彦]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
滝口武者とも。平安中期以降の天皇近侍の武力。内裏清涼殿の東庭北方,御溝水(みかわみず)の流れ落ちる所を滝口といい,そこに詰めた武者である。その詰所を滝口陣という。宇多天皇のときにおかれたのが始まりで,定員は10人。のち20人となったが,白河天皇のときには30人だったこともある。射芸に秀でた者が選ばれ,蔵人所(くろうどどころ)に属して禁中の警備をはじめ,天皇乗船の供奉,京中の捜索などにもあたった。任官の順序により一臈・二臈・三臈の3人を上臈(じょうろう)といい,四臈を事行(じぎょう)という。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…供御物貢進の体制は,その後11世紀後半以降再び大きく改革され,中世的な御厨と供御人(くごにん)の体制が成立するが,蔵人所はひきつづき供御人に対する裁判権を掌握し,その本家的な存在として,彼らの活動を保護する一方で,彼らの奉仕による収入を重要な経済基盤とした。
[蔵人所の職員]
蔵人所には別当,蔵人頭,蔵人,非蔵人,雑色(ぞうしき),所衆,出納,小舎人(こどねり),滝口,鷹飼等の職員が置かれた。別当(1名)は蔵人所の総裁である。…
※「滝口」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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