たき‐ぐち【滝口】
[1] 〘名〙
① 滝の流れ落ちる所。滝の落ち口。
※吉野拾遺(14C後)下「三吉野にありと聞こえし滝口か落ては名をも流しけるかな」
②
清涼殿の東北方にある
御溝水(みかわみず)の落ちる所。また、ここに内裏警護の
武士の
詰所があったところから、その詰所もいう。
滝口所。
※西宮記(969頃)八「滝口在二御所近辺一、寛平被レ置二衆十一」
③ 蔵人所
(くろうどどころ)に属し、②の詰所にいて、
宮中の
警衛や
雑役にあたった武士。滝口の武士。
※枕(10C終)五六「たきぐちの弓鳴らし、沓の音し、そそめき出づると」
[2] 「たきぐちにゅうどう(
滝口入道)」(一)の略。
※俳諧・鷹筑波(1642)三「
横笛にこそこころみだるれ 滝口
(タキぐち)や恋ゆへ世をも捨ぬらん」
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滝口
たきぐち
平安・鎌倉時代、蔵人所(くろうどどころ)の被管として置かれた内裏(だいり)勤番の武士。寛平(かんぴょう)年間(889~898)に創設された。その員数は当初10人であったが、のちには20~30人も置かれ、源平重代の者が補せられた。その名は、清涼殿(せいりょうでん)の北、承香殿(しょうきょうでん)に行く北廊付近の御溝水(みかわみず)の落ち口(滝口)に滝口の陣があり、そこに詰めていたことに由来する。その任命は、とくに弓矢の上手な者を試験して採用し、月初めに提出する昼夜の出勤日数を記入した月奏(げっそう)によって勤務を評定された。
[渡辺直彦]
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滝口
たきぐち
平安,鎌倉時代,宮中の警衛にあたった武士で蔵人所に属する。詰所が清涼殿の東北方の御溝水 (みかわみず) の落ちる滝口にあったのでこの名がある。宇多天皇の寛平年間 (889~898) に設置された。定員は最初 10人,白河天皇の代に 30人となったが,のち 20人。職務は遠所の勅使,雑役,宮中の警固などであった。昇殿は許されず,宿直者の姓名の奏聞は蔵人が取次いだ。
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デジタル大辞泉
「滝口」の意味・読み・例文・類語
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滝口【たきぐち】
平安・鎌倉時代,蔵人所(くろうどどころ)に属して禁中の警衛にあたった武士。清涼殿の北東方にある御溝水(みかわみず)の落ちるところを滝口といい,そこに詰めていたので滝口と呼ばれた。定員20名。
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たきぐち【滝口】
蔵人所(くろうどどころ)に属する禁中警衛の武士。宮中清涼殿の北東,御溝水(みかわみず)の落ちるところを宿所としていたので,滝口の武者といわれた。宇多天皇の寛平年間(889‐898)にはじめて置かれ,はじめ10人,のち20人となり,白河天皇の代には一時30人に増員された。五位,六位の武勇ある侍のなかから,ことに弓術に秀でた者を補し,宮中の警衛にあたるほか,天皇の乗船に供奉し,また諸種の雑役にあたった。
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世界大百科事典内の滝口の言及
【蔵人所】より
…供御物貢進の体制は,その後11世紀後半以降再び大きく改革され,中世的な御厨と供御人(くごにん)の体制が成立するが,蔵人所はひきつづき供御人に対する裁判権を掌握し,その本家的な存在として,彼らの活動を保護する一方で,彼らの奉仕による収入を重要な経済基盤とした。
[蔵人所の職員]
蔵人所には別当,蔵人頭,蔵人,非蔵人,雑色(ぞうしき),所衆,出納,小舎人(こどねり),滝口,鷹飼等の職員が置かれた。別当(1名)は蔵人所の総裁である。…
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