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滝口 たきぐち

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

滝口
たきぐち

平安,鎌倉時代宮中警衛にあたった武士蔵人所に属する。詰所清涼殿の東北方の御溝水 (みかわみず) の落ちる滝口にあったのでこの名がある。宇多天皇の寛平年間 (889~898) に設置された。定員は最初 10人,白河天皇の代に 30人となったが,のち 20人。職務は遠所の勅使雑役,宮中の警固などであった。昇殿は許されず,宿直者の姓名奏聞蔵人が取次いだ。

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デジタル大辞泉の解説

たき‐ぐち【滝口】

滝が落ちはじめる所。滝の落ち口。
清涼殿北東にある、御溝水(みかわみず)の落ちる所。
平安・鎌倉時代、蔵人所(くろうどどころ)に属し、2詰め所にいて、宮中の警衛に当たった武士。滝口の武士。

たきぐち【滝口】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「滝口」姓の人物
滝口修造(たきぐちしゅうぞう)
滝口悠生(たきぐちゆうしょう)

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百科事典マイペディアの解説

滝口【たきぐち】

平安・鎌倉時代,蔵人所(くろうどどころ)に属して禁中の警衛にあたった武士。清涼殿の北東方にある御溝水(みかわみず)の落ちるところを滝口といい,そこに詰めていたので滝口と呼ばれた。

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世界大百科事典 第2版の解説

たきぐち【滝口】

蔵人所(くろうどどころ)に属する禁中警衛の武士。宮中清涼殿の北東,御溝水(みかわみず)の落ちるところを宿所としていたので,滝口の武者といわれた。宇多天皇の寛平年間(889‐898)にはじめて置かれ,はじめ10人,のち20人となり,白河天皇の代には一時30人に増員された。五位,六位の武勇ある侍のなかから,ことに弓術に秀でた者を補し,宮中の警衛にあたるほか,天皇の乗船に供奉し,また諸種の雑役にあたった。

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大辞林 第三版の解説

たきぐち【滝口】

滝の流れ落ちる所。
清涼殿の北東にある御溝水みかわみずの落ち口。
に詰めていたことから〕 平安・鎌倉時代、蔵人所くろうどどころに属し、宮中の警護にあたった武士。滝口の武士。

たきぐち【滝口】

姓氏の一。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

滝口
たきぐち

平安・鎌倉時代、蔵人所(くろうどどころ)の被管として置かれた内裏(だいり)勤番の武士。寛平(かんぴょう)年間(889~898)に創設された。その員数は当初10人であったが、のちには20~30人も置かれ、源平重代の者が補せられた。その名は、清涼殿(せいりょうでん)の北、承香殿(しょうきょうでん)に行く北廊付近の御溝水(みかわみず)の落ち口(滝口)に滝口の陣があり、そこに詰めていたことに由来する。その任命は、とくに弓矢の上手な者を試験して採用し、月初めに提出する昼夜の出勤日数を記入した月奏(げっそう)によって勤務を評定された。[渡辺直彦]

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世界大百科事典内の滝口の言及

【蔵人所】より

…供御物貢進の体制は,その後11世紀後半以降再び大きく改革され,中世的な御厨と供御人(くごにん)の体制が成立するが,蔵人所はひきつづき供御人に対する裁判権を掌握し,その本家的な存在として,彼らの活動を保護する一方で,彼らの奉仕による収入を重要な経済基盤とした。
[蔵人所の職員]
 蔵人所には別当,蔵人頭,蔵人,非蔵人,雑色(ぞうしき),所衆,出納,小舎人(こどねり),滝口鷹飼等の職員が置かれた。別当(1名)は蔵人所の総裁である。…

※「滝口」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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