滝正雄(読み)タキ マサオ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「滝正雄」の解説

滝 正雄
タキ マサオ


肩書
貴院議員(勅選),衆院議員(昭和会),企画院総裁

生年月日
明治17年4月14日

出生地
愛知県

学歴
京都帝国大学法科大学政治学科〔明治44年〕卒

経歴
大学院で学び京都大、関西大の講師となるが、のちに床次竹二郎内相の秘書官として政界に入り、大正6年の総選挙で代議士となる。立憲政友会、政友本党、立憲民政党、立憲政友会、昭和会に所属し、昭和12年企画院設置とともに初代総裁に就任するため、代議士を辞任。この間、当選7回で外務政務次官、法政局長官を歴任。14年貴院議員に勅選され、戦時中は大政翼賛会総務などを歴任した。

没年月日
昭和44年8月12日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「滝正雄」の解説

滝 正雄
タキ マサオ

昭和期の政治家 貴院議員(勅選);衆院議員(昭和会);企画院総裁。



生年
明治17(1884)年4月14日

没年
昭和44(1969)年8月12日

出生地
愛知県

学歴〔年〕
京都帝国大学法科大学政治学科〔明治44年〕卒

経歴
大学院で学び京都大、関西大の講師となるが、のちに床次竹二郎内相の秘書官として政界に入り、大正6年の総選挙で代議士となる。立憲政友会、政友本党、立憲民政党、立憲政友会、昭和会に所属し、昭和12年企画院設置とともに初代総裁に就任するため、代議士を辞任。この間、当選7回で外務政務次官、法政局長官を歴任。14年貴院議員に勅選され、戦時中は大政翼賛会総務などを歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「滝正雄」の意味・わかりやすい解説

滝正雄
たきまさお
(1884―1969)

政治家。愛知県生まれ。京都帝国大学政治学科卒業。大学講師を経て、床次竹二郎(とこなみたけじろう)内相秘書官として政界に入る。1917年(大正6)衆議院議員当選。床次に従い政友会はじめ諸政党を遍歴する。斎藤実(まこと)内閣外務政務次官、第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣法制局長官などを務め、1937年(昭和12)企画院初代総裁となる。1939年貴族院議員。その後、大政翼賛会総務、翼賛政治会総務などを歴任。この間、国策研究会昭和研究会に関与するなど、第二次世界大戦時の政界で積極的に活動した。終戦後、公職追放

[小田部雄次]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「滝正雄」の解説

滝正雄 たき-まさお

1884-1969 大正-昭和時代前期の政治家。
明治17年4月14日生まれ。大正6年衆議院議員(当選7回)となる。昭和12年第1次近衛内閣の法制局長官,ついで初代企画院総裁。大政翼賛会総務,翼賛政治会総務などをつとめ,国策研究会や昭和研究会に参加。昭和44年8月12日死去。85歳。愛知県出身。京都帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「滝正雄」の解説

滝 正雄 (たき まさお)

生年月日:1884年4月14日
昭和時代の政治家。衆議院議員
1969年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の滝正雄の言及

【企画院】より

…同年7月,日中全面戦争の開始にともない,総力戦体制の整備が急がれ,10月,総動員準備機関としての資源局と企画庁を統合することにより企画院が創設された。初代総裁は滝正雄。発足後当面した課題は,国家総動員法,電力国家管理法の制定,物資動員計画の設定,重要産業充実計画などであった。…

※「滝正雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android