漆川村(読み)しつかわむら

日本歴史地名大系 「漆川村」の解説

漆川村
しつかわむら

[現在地名]池田町漆川

吉野川の東岸に注ぐ漆川谷沿いの山腹一帯に位置。北は池田村、南は中津川なかつかわ村・松尾まつお村、東は井内いのうち(現井川町)。「しっこう」とも読まれた(正保国絵図・寛文四年郷村高辻帳)中世は志津河と記され、川崎の三所かわさきのさんしよう神社蔵の大般若経巻一九四の奥書に、応永七年(一四〇〇)六月八日付で「阿州志津河長福寺」とみえる。慶長二年(一五九七)の分限帳にみえる「浅川」は当村のことと考えられ、高一六七石が牛田掃部助の知行正保国絵図には漆川村とみえ、高一六七石余。寛文四年(一六六四)郷村高辻帳には漆河山とあり、高一六七石すべてが畑方で、芝山・小はへ山の注記がある。万治二年(一六五九)検地帳(池田町公民館蔵)では田六町六反余・高四四石余、畑九三町九反余・高一九九石余、上毛高八石余。


漆川村
うるしかわむら

[現在地名]五所川原市漆川

松野木まつのき川の左岸に位置し、南は吹畑ふきはた村、北は松野木川を境に太刀打たちうち村支村尻無しりなし村に接する。

貞享元年(一六八四)の郷村帳に寛文四年(一六六四)以後新田として二五六石とある。貞享四年の検地帳は田方六一町五反七畝一九歩・畑方二一町六反二畝二五歩、田畑屋敷合せて八三町二反一四歩、村高五九九・六四七石と記す。「平山日記」によれば、元禄三年(一六九〇)には広田組に属し、村位は下で、家数二九、うち庄屋一・百姓一八・水呑一〇であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android