漆生村(読み)うるしおむら

日本歴史地名大系 「漆生村」の解説

漆生村
うるしおむら

[現在地名]稲築町漆生

東はひら村・才田さいた村、西は穂波ほなみ土師はじ(現桂川町)、南は上下じようげ(現嘉穂町)。文永七年(一二七〇)三月日の宮清弥勒寺領注進抜書(石清水文書/鎌倉遺文一四)には宇佐弥勒寺領西宝塔院家庄として「漆生庄」がみえる。永仁七年(一二九九)頃には同庄は神殿修理のために宇佐宮に寄進されており(年月日未詳「宇佐宮式年御造営記」益永文書/大分県史料二九)、正平一三年(一三五八)一二月八日の漆生八幡宮神体背銘(嘉穂郡誌)には「立岩領主到津大宮司宇佐宿禰公(連)」とある。


漆生村
うるしおむら

[現在地名]千歳村下山しもやま ひら井の口いのくち下平井しもひらい

新殿にいどの村の西、あかね川の南岸にある。嘉吉二年(一四四二)四月九日の一万田惟久等連署打渡状(麻生照美文書)にみえる井田いだ郷漆生名の遺称地。また年未詳六月一五日付の一万田氏と推定される鎮実知行預ケ状(伊東東馬文書)には、伊藤右馬助へ預けられた井田両名の地のうちに「灰迫」二貫分がある。この灰迫はいさこは当村の灰迫に比定される。正保郷帳には井田郷の漆生村がみえ、田高二七八石余・畑高六七石余。


漆生村
うるしおむら

[現在地名]緒方町越生こしお 大久保おおくぼ城山しろやま原田はらだ

井上いのうえ村の北、大野川と緒方川に挟まれる台地上にある。正保元禄・天保の各郷帳に村名の記載はなく、「豊後国志」に漆生とみえる。旧高旧領取調帳では二九七石余。安永七年(一七七八)には井上組に属した(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)。宝暦三年(一七五三)緒方郷民が検見願のため強訴に及んだ際に当村小庄屋嘉平次および村民は同心しなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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