日本大百科全書(ニッポニカ) 「潙山霊祐」の意味・わかりやすい解説
潙山霊祐
いさんれいゆう
(771―853)
中国、唐代の禅僧。潙仰宗(いぎょうしゅう)の派祖の一人。諡号(しごう)は大円禅師。俗姓は趙(ちょう)氏。福州(福建省)長渓の人。15歳で建善寺に出家し、杭州(浙江(せっこう)省)竜興寺で受戒、大小乗の経律を究めた。23歳のとき江西に遊行(ゆぎょう)し、百丈懐海(ひゃくじょうえかい)に参じて嗣法する。典座(てんぞ)(台所係)のときに認められて、潭州(たんしゅう)(湖南省)の潙山に住し、禅風を広めた。李景譲(りけいじょう)、裴休(はいきゅう)、崔慎由(さいしんゆう)(804―868)に尊崇された。大中(たいちゅう)7年正月9日示寂、鄭愚(ていぐ)の碑銘がある。弟子に仰山慧寂(きょうざんえじゃく)、香厳智閑(きょうげんちかん)(?―898)がいる。彼の語句を記した『語録』1巻、および『潙山警策(きょうさく)』がある。
[石井修道 2017年1月19日]