朝日日本歴史人物事典 「濃姫」の解説
濃姫
生年:天文4(1535)
安土桃山時代,織田信長の妻。父は美濃国(岐阜県)斎藤道三利政。母は明智光秀の伯母小見の方。名は帰蝶。父道三は主家の土岐頼芸を追放,頼芸が頼った尾張国(愛知県)織田信秀と抗争になる。天文17(1548)年に和議が成立し,翌年15歳で信秀の長男信長に嫁いだ。このとき父道三は短刀を渡し,信長が愚か者ならこれで刺せと諭した。濃姫は,父上を刺すことになるかも知れないと返答したという。信長は,道三と重臣を離間させるため毎夜寝所を出て不審な行動をとり,濃姫がわけを尋ねると,道三の家老からの連絡を待っているのだと答えた。濃姫はこの旨を父に知らせ,道三も娘を信じて,家臣を殺害したという。弘治2(1556)年,道三は長子義竜との対立により長良川のほとりで討死。信長に美濃を譲るとの道三の遺書は,娘濃姫への思いを物語っている。信長死後,濃姫は「安土殿」と敬称され,織田信雄の知行目録にはその名がみえるので,尾張で余生を送ったと考えられる。大徳寺総見院の織田家墓所のなかに養華院殿要津妙法大姉の墓碑銘があり,これが濃姫の墓所といわれている。<参考文献>桑田忠親『斎藤道三』
(西村圭子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報