日本大百科全書(ニッポニカ) 「カピトゥレーション」の意味・わかりやすい解説
カピトゥレーション
かぴとぅれーしょん
Capitulation
外国の領土の中で通商の自由、個人居留の不可侵、家屋所有権の取得、自国法による領事裁判権、租税免除などが特権的に保障される国際条約をいう。この制度の発生は中世イスラム教国で、キリスト教諸国民との通商上の相互接触に端を発し、非イスラム教徒である外国人を保護するための政治上、通商上の措置であった。十字軍時代に普及し、以後ビザンティン帝国に引き継がれ、ベネチア、ジェノバなどイタリア諸港市の商人に対し、首都コンスタンティノープルに居留する権利が与えられた。
ビザンティン帝国を滅ぼしたオスマン・トルコ帝国ではこれが慣習的権利として引き継がれ、外交上、通商上の円滑を図る目的で、1535~36年(1569年に更新)にスレイマン1世によってフランスに与えられた。全文17か条よりなる。この特権に基づき、フランスは1548年にシリアのトリポリ、52年にアレッポ、次いでアレクサンドリア、イスタンブール(旧コンスタンティノープル)に領事館を開設した。さらに71年にはイギリス、1612年にはオランダ、ついで18~19世紀には順次オーストリア、プロイセン、ロシア、アメリカなどに与えられた。イランではシャー(皇帝)によってヨーロッパ諸国に与えられた。
トルコでは、政治的衰退とともに、この特権は本来の限界を超えて裁判管理権や非課税権などを含む治外法権に転化した。19世紀中ごろには、カピトゥレーションはトルコの弱体化の象徴とされた。近代民族主義の台頭とともにその撤廃が大きな政治的課題と化し、トルコでは第一次世界大戦後、1923年のローザンヌ条約で廃止された。旧オスマン・トルコ属領であるシリア、パレスチナでは、それぞれ当時の委任統治国により、またイラクでは23年の国際協約で廃止をみた。イランでは28年に、エジプトでは37年のモントルー治外法権会議で廃止された。
カピトゥレーションを存置した諸国としてはエジプトが有名であり、上記モントルー治外法権会議の結果、廃止をみるまでは、イギリス、フランス、イタリア、ベルギー、デンマーク、ノルウェー、ギリシア、オランダ、スウェーデン、スペイン、アメリカ、ポルトガルの12か国が治外法権を享受していた。かつて中国に存在した「租界」もこの先例に倣ったものであり、中国の場合は1947年に完全に消滅した。なお、1858年(安政5)から1897年(明治30)ごろまで日本に存在した欧米諸国の治外法権もまた同一カテゴリーに入るといえよう。
[三橋冨治男]