日本歴史地名大系 「瀬川宿」の解説
瀬川宿
せがわしゆく
市域の南西端、西国街道(山崎通)が箕面川に接する辺りに位置した宿駅。古くには「瀬河」と書かれる場合が多い。
〔中世〕
久寿二年(一一五五)に箕面寺(のちの瀧安寺)で書写された大門寺一切経のうちの雑阿含経(古屋幸太郎氏蔵)の奥書に「世川村僧良芳□□□成往生極楽所書写也」とある「世川村」は、その初見か。宝治三年(一二四九)三月七日の
元弘の乱に際して、瀬川は西国街道の軍事的要衝となり、赤松円心の軍と六波羅勢の間に瀬川合戦が展開された。播磨で蜂起して摂津
応安四年(一三七一)二月、九州探題に任じられた今川了俊は、二月二一日に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報