瀬田貞二(読み)セタ テイジ

20世紀日本人名事典 「瀬田貞二」の解説

瀬田 貞二
セタ テイジ

昭和期の児童文学者,翻訳家,評論家,絵本作家



生年
大正5(1916)年4月26日

没年
昭和54(1979)年8月21日

出生地
東京・本郷

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部国文科〔昭和16年〕卒

主な受賞名〔年〕
サンケイ児童出版文化賞〔昭和32年 38年 41年 42年〕,日本翻約文化賞〔昭和50年〕,児童福祉文化賞奨励賞〔昭和52年〕,絵本にっぽん賞(第2回)〔昭和54年〕「きょうはなんのひ?」,毎日出版文化賞特別賞(第36回)〔昭和57年〕「落穂ひろい」

経歴
昭和11年中村草田男に師事俳誌万緑創刊に参加。戦後「万緑」の編集、公立夜間中学教師を経て、24年平凡社に入社。「児童百科事典」(全24巻)の編集長をつとめ、31年完成。以後、子どもの本の創作、翻訳(主として英米児童文学)、昔話の再話、児童文化の研究・評論に専念する。主な訳書C.S.ルイスナルニア国ものがたり」(全7巻)、トールキンホビット冒険」「指輪物語」などがあり、ほかに絵本も数多く発表。作品に「おとうさんのラッパばなし」「きょうはなんのひ?」「あふりかのたいこ」「わらしべ長者」「かさじぞう」など。また評論家としても知られ、「子どもと文学」「絵本と子ども」(以上共著)、「幼い子の文学」「落穂ひろい」「絵本論」などの著書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「瀬田貞二」の解説

瀬田貞二 せた-ていじ

1916-1979 昭和時代後期の翻訳家,児童文学者。
大正5年4月26日生まれ。昭和24年平凡社にはいり,百科事典などの編集のかたわら,ルイス「ナルニア国ものがたり」やトールキン「ホビットの冒険」「指輪物語」などを翻訳,紹介。遺稿に評論「落穂ひろい―日本の子どもの文化をめぐる人びと」がある。昭和54年8月21日死去。63歳。東京出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「瀬田貞二」の解説

瀬田 貞二 (せた ていじ)

生年月日:1916年4月26日
昭和時代の児童文学者;翻訳家
1979年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の瀬田貞二の言及

【児童文学】より

… そのほかの諸国からひろうと,スイスのJ.シュピーリの《ハイジ(アルプスの少女)》(1881)とウィースJ.R.Wyssの《スイスのロビンソン》(1812‐13),ハンガリーのF.モルナールの《パール街の少年たち》(1907),チェコスロバキアのK.チャペックの《童話集》(1932)が見落とせない。【瀬田 貞二】【菅原 啓州】
[カナダ,オーストラリア,ニュージーランド]
 カナダにはL.M.モンゴメリーの《赤毛のアン》(1908)があるが,本領はE.T.シートンやロバーツG.D.Robertsによって19世紀末から開拓された動物物語にあり,その伝統はモワットF.Mowat《ぼくのペットはふくろう》(1961),バンフォードS.Bunford《信じられない旅》(1977)に息づいている。オーストラリアの近年の児童文学の隆盛はめざましい。…

【百科事典】より

…テーマ別。イギリスのA.ミーの事典に触発されている)が早く,第2次大戦後では瀬田貞二らによる平凡社版《児童百科事典》(1951‐56,24巻。五十音順)が意欲的な展開を試みている。…

※「瀬田貞二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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