日本大百科全書(ニッポニカ) 「災害遺産」の意味・わかりやすい解説
災害遺産
さいがいいさん
大災害の教訓や被災の悲惨な状況を後世に伝えるための遺産。政府が2014年度(平成26)中に全国の自治体、学会、市民団体などから募集して選定し、防災や防災教育、観光資源などとして活用する計画である。防災や減災につながる教訓や事例を長く後世に伝え、100年に一度、あるいは1000年に一度といった大災害に備えることがねらいで、被災のすさまじさを伝える建物などの震災遺構のほか、石碑、文献、伝承などが対象となる。内閣府が選定対象や件数を詰めるが、東日本大震災(2011)のつめあとを残す「宮城県南三陸町の防災対策庁舎」や「旧女川(おながわ)交番」、雲仙普賢岳(うんぜんふげんだけ)の大火砕流(1991)で焼け焦げた被災民家や車両、阪神・淡路大震災(1995)で残った防火壁「神戸の壁」などが候補になる。また、岩手・宮城内陸地震(2008)で発生した荒砥沢(あらとざわ)ダム崩落地など、現在も地すべりが続いている災害現場も防災の研究対象として候補になるとみられる。石碑や記念碑では、昭和三陸地震大津波(1933)後に、岩手県宮古市姉吉(あねよし)地区に建てられ、集落の高台移転を促した石碑「此処(ここ)より下に家を建てるな」のほか、長崎大水害(1982)の被害の大きさを伝える「長崎大水害水位」の石碑や鉄柱が選定候補となる見通しである。文献では、平安時代に東北を襲った貞観(じょうがん)地震(869)を伝える史書『日本三代実録』の記述などがあるほか、伝承では、大津波の際は家族を探さずにばらばらに避難したほうが生存率が高まるという東北地方の教訓「津波てんでんこ」や、安政南海地震(1854)で津波に襲われた紀州藩広村(現、和歌山県広川(ひろがわ)町)の村民を、稲わらに火をつけて高台に避難誘導した実業家、濱口梧陵(ごりょう)(1820―1885)の逸話「稲むらの火」なども候補になるとみられる。
災害遺産の維持管理について、政府は原則、自治体や市民団体などにゆだねる計画であるが、文化財に指定して政府が維持管理費の負担軽減を図るべきという意見や、国際的に認められた世界の記憶としての認定を目ざすべきという主張もある。
[編集部]