日本歴史地名大系 「炭所西村」の解説 炭所西村すみしよにしむら 香川県:仲多度郡満濃町炭所西村[現在地名]満濃町炭所西阿讃山地北部の高地と土器(どき)川両岸の小平地に位置する。「すみしょう」ともよぶ。土器川右岸の片岡南の吉田(かたおかみなみのよしだ)神社付近の丘陵は同川最上流域の古墳地帯をなし、左岸の大向上の地神山(おおむかいかみのじじんやま)からは弥生式土器が出土している。文治年間(一一八五―九〇)讃岐橘家の橘重康がこの地に所領を得て常包(つねかね)に住し、正八幡宮を創建したという(橘姓常包氏系図)。鵜足(うた)郡に属した。寛永国絵図には塩田(しおた)・江畑(えばた)・常包・片岡郷がみえ、片岡郷として高付され、高一千四石余。近世初頭まで炭所村であったが、その後炭所東村と炭所西村に分村した。文政九年(一八二六)の高八四六石余、家数一九七(石居九三・掘立一〇四)・人数七八八(男四三六・女三五二)、本百姓一〇一・半百姓七〇・御林守二・大工五・猟師一二、牛五三・馬六、池五六・出水三で、入作高八六石は金毘羅領や池御料の商人が地主になっていた(「山分村々五人組帳調」西村文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by