日本歴史地名大系 「片岡郷」の解説
片岡郷
かたおかごう
片岡郷
かたおかごう
「和名抄」東急本・高山寺本ともに訓を欠く。同書の上野国片岡郡には「加太乎加」との訓が付されており、これに準じて訓じておく。天平勝宝四年(七五二)一〇月二五日の造東寺司牒(正倉院文書)に、下野国内の東大寺の封戸二五〇戸の内訳の一つとして「塩屋郡片岡郷五十戸」と記されており、この時をもって同寺の封戸に充給されている。当郷を含む五郷は設定当初のまま、少なくとも平安中期までは東大寺の封戸として存続しており、天暦四年(九五〇)一一月二〇日の東大寺封戸庄園并寺用雑物目録(東南院文書)によると、塩屋郡の封戸五〇戸(おそらく片岡郷)からは、調布一四〇端七尺・租穀二〇〇石・中男作物の紙一千七六〇張・仕丁の代価(おそらく仕丁二人分の代価として銭四貫二四八文と調布二〇端)が納入されている。
片岡郷
かたおかごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報