点野庄(読み)しめののしよう

日本歴史地名大系 「点野庄」の解説

点野庄
しめののしよう

近世の点野村域に比定される。鳥羽院政期の関白藤原忠通が、長寛元年(一一六三)源行頼を当庄の預所に補任し、忠通没後は息女崇徳上皇中宮皇嘉門院に譲与された。次いで和泉大泉おおいずみ(現和泉市)・摂津倉垣くらがき(現豊能郡能勢町)などと同様に門院の甥九条良通へと相続され、九条家領となった。以上の経緯は九条家文書の九条兼実・道家以下歴代九条家当主の惣処分状に詳しい。その後良通が夭折したため一時同族の宜秋門院に預けられ、彼女の手を経て九条道家に伝領された。道家は建長二年(一二五〇)に娘で四条院の尚侍とよばれる藤原全子に遺産分割し、年貢の上分は仏事にあてさせ、全子死去ののちは一条実経の嫡子に譲るよう申残している(建長二年一一月日「九条道家初度惣処分状」九条家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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