無名人の手紙(読み)むめいじんのてがみ(その他表記)Epistolae obscurorum virorum

改訂新版 世界大百科事典 「無名人の手紙」の意味・わかりやすい解説

無名人の手紙 (むめいじんのてがみ)
Epistolae obscurorum virorum

ラテン語の風刺書簡集。《愚者の手紙》と訳されることもある。16世紀初めドイツで出版された。作者は匿名であるが,だいたいエルフルト大学の学徒クロトゥス・ルビアヌスCrotus Rubianus(本名イェーガーJohannes Jäger,1480ころ-1545ころ)やフッテンらと考えられる。その機縁をなしたのは,改宗ユダヤ人フェッファーコルンJohannes Pfefferkorn(1469-1522か23)のユダヤ教徒迫害と,これに対抗して学問的な見地からユダヤ教学の保全と古文書研究をまもろうとした人文主義者ロイヒリンとの抗争であった。フェッファーコルンは皇帝マクシミリアンの助けを仰ぎ,また自分の入信したドミニコ会の強い支持と,ケルン大学神学部を主とするがんこな神学者たちの支持を得,しばしば強行手段に訴えてユダヤ書の破棄没収を企て,これをはばもうとするロイヒリンを迫害し,ついにはローマ教皇庁に訴えた。この訴訟は教皇レオ10世の穏便策によって延引されたが,その間ロイヒリンも負けずに人文主義者を主とするヨーロッパ一般の学界声援を得て盛んに対抗手段を講じ,いくつかのパンフレットを発行して反対派の無学や不法,がんこさなどを攻撃したが,この争いは内容においては保守的なカトリック教会と進歩的な人文主義者グループとの対抗を意味した。おりからロイヒリンは,1514年に有力な同情者たちの書簡を集め《有名人の手紙Epistolae clarorum virorum》として公表した。それに対する反対派の反論をやじるために刊行されたのがこの《無名人の手紙》で,ロイヒリンへの側面援護として,攻撃をケルン大学の代表者グラティウスOrtwin Gratius(1480ころ-1542)に集中したもの。第1集(1515)は48通,第2集(1517)は追補ともあわせて70通にのぼり,それぞれ仮名(多くは学徒)を用い,ばかげた内容の同情的な手紙をグラティウスあてに書かせ,あべこべに自分たち,すなわち敵陣営の愚かさ,卑劣さ,淫猥(いんわい)さなどを痛烈にえぐったものである。したがってT.モア,エラスムスら同陣営の学者はこれに盛んなかっさいを送り,一般知識階級への激励にも大いに役だった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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