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焦竑 しょうこうJiāo Hóng

世界大百科事典 第2版の解説

しょうこう【焦竑 Jiāo Hóng】

1541‐1620
中国,明の学者。江寧(江蘇省)の人。字は弱侯,号は澹園。1589年(万暦17)殿試第一をもって翰林院修撰を授けられ,ついで皇長子(のちの泰昌帝)の講官となる。97年弾劾をうけて福寧州同知に左遷され,のちまもなく官を辞した。無類の博学家,蔵書家で,《国朝献徴録》《国史経籍志》など多数の著書がある。また,陽明学左派(泰州派)の学者として親友李贄(りし)(卓吾)の庇護に努めた。王学左派【谷 光隆】

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

焦竑
しょうこう
Jiao Hong

[生]嘉靖20 (1541)
[没]泰昌1 (1620)
中国,の学者。江蘇省江寧の人。博学で,儒道仏を合一した立場をとった。李卓吾の親友として知られる。主著『易筌』『老子翼』『荘子翼』『国朝献徴録』『焦氏筆乗』『国史経籍史』など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


しょうこう
(1541―1620)

中国、明(みん)末の陽明学者。字(あざな)は弱侯(じゃくこう)、号は(いえん)、澹園(たんえん)とも号した。江寧(こうねい)(いまの南京(ナンキン))の人。泰州学派の羅汝芳(らじょほう)、耿定向(こうていきょう)(1524―1596)を師とし、異端者李贄(りし)とも親交があった。その主張は、儒仏道三教一致の立場にたち、人間本来の心を信じて、ありのままの自然を貴ぶことにあり、宋(そう)儒のような外的な修養を嫌った。学術的な随筆『焦氏筆乗』(1606)、明一代の書誌『国史経籍志』(1594)、古今の注を集めた『老子翼』(1588)、『荘子翼』(1588)を残した。これらは、明末の人としては例外的に広い学識に裏打ちされており、清朝(しんちょう)学に連なっていくものを感じさせる。詩文集『澹園集』(1615)がある。[杉山寛行]

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