日本大百科全書(ニッポニカ) 「焦竑」の意味・わかりやすい解説
焦竑
しょうこう
(1541―1620)
中国、明(みん)末の陽明学者。字(あざな)は弱侯(じゃくこう)、号は漪園(いえん)、澹園(たんえん)とも号した。江寧(こうねい)(いまの南京(ナンキン))の人。泰州学派の羅汝芳(らじょほう)、耿定向(こうていきょう)(1524―1596)を師とし、異端者李贄(りし)とも親交があった。その主張は、儒仏道三教一致の立場にたち、人間本来の心を信じて、ありのままの自然を貴ぶことにあり、宋(そう)儒のような外的な修養を嫌った。学術的な随筆『焦氏筆乗』(1606)、明一代の書誌『国史経籍志』(1594)、古今の注を集めた『老子翼』(1588)、『荘子翼』(1588)を残した。これらは、明末の人としては例外的に広い学識に裏打ちされており、清朝(しんちょう)学に連なっていくものを感じさせる。詩文集『澹園集』(1615)がある。
[杉山寛行 2016年2月17日]