熊山城跡(読み)くまやまじようあと

日本歴史地名大系 「熊山城跡」の解説

熊山城跡
くまやまじようあと

[現在地名]徳島市丈六町 西高木

丈六じようろく町の北東部、標高三六・七メートルの独立した小山に築かれた山城跡。本庄ほんじよう城とも称される。北方山地から見下ろされるような場所にあるが、その間には多々羅たたら川が北東へ流れる。大正時代に小松島軽便鉄道(現JR牟岐線)を敷設する際、この山の土を掘削して路盤としたため城の遺構過半は失われた。現在残る遺構は最高所の曲輪が南北三二メートル・東西一三メートルで、北西側に低い土塁を巡らしている。西側斜面には大規模な竪堀があり、その北側には帯曲輪が二段ほどある。一説には桜間さくらま城といわれ、平安末期に平氏の有力家人田口氏の一族がいたが、源義経によって滅ぼされたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

顔や四肢に特有の紅斑がみられる疾患で,伝染性紅斑の俗称。パルボウイルスの感染によって年長幼児,低学年児童に好発し,乳児や成人には少ない。1〜2週間の潜伏期ののち突然発疹が出る。発疹は両ほおに対称的に生...

リンゴ病の用語解説を読む