日本歴史地名大系 「熊山城跡」の解説 熊山城跡くまやまじようあと 徳島県:徳島市旧勝浦郡地区本庄村熊山城跡[現在地名]徳島市丈六町 西高木丈六(じようろく)町の北東部、標高三六・七メートルの独立した小山に築かれた山城跡。本庄(ほんじよう)城とも称される。北方の山地から見下ろされるような場所にあるが、その間には多々羅(たたら)川が北東へ流れる。大正時代に小松島軽便鉄道(現JR牟岐線)を敷設する際、この山の土を掘削して路盤としたため城の遺構の過半は失われた。現在残る遺構は最高所の曲輪が南北三二メートル・東西一三メートルで、北西側に低い土塁を巡らしている。西側斜面には大規模な竪堀があり、その北側には帯曲輪が二段ほどある。一説には桜間(さくらま)城といわれ、平安末期に平氏の有力家人田口氏の一族がいたが、源義経によって滅ぼされたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by