熊沢村(読み)くまざわむら

日本歴史地名大系 「熊沢村」の解説

熊沢村
くまざわむら

[現在地名]下部町熊沢

久保くぼ村の西、西八代台地に立地する。集落は樋田といだ(久保川)に臨む河岸段丘と沖積原にある。現曹洞宗住安じゆうあん寺付近は武田信広の館跡との伝承がある。慶長古高帳に熊沢とみえ高四六石、幕府領。宝暦六年(一七五六)版三郡村高帳では高四二石余。文化(一八〇四―一八)初年の家数二〇・人数八六、馬八(甲斐国志)。文政一一年(一八二八)の村明細帳(若尾資料)によれば、高四二石余、家数二三(本百姓)・人数一一九、馬五・牛一、郷蔵一、鉄砲二、百姓林三ヵ所・藪三ヵ所。


熊沢村
くまざわむら

[現在地名]浦川原村熊沢

保倉ほくら川支流、北流する高谷たかたに川沿いの谷間に立地。北は有島ありしま村、南は横住よこずみ村・法定寺ほうじようじ村。峰を隔てて西は岩室いわむろ村、東は板尾いたお(現安塚町)。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図に「御料所窪田扱熊沢村 下」とあり、本納一三石一斗三升六合・縄高三〇石二斗五升七合、家三軒・一五人。法定寺村背後の山を隔てて山麓に描かれる。正保国絵図に村名がみえ、天和三年郷帳では高六〇石余、うち山高四石四斗六升七合・漆高二石二斗八升・青苧高八斗六升一合。質地騒動に際して参加者がおり、享保一〇年(一七二五)新五右衛門が獄門、四右衛門が遠島の処罰を受けた(浦川原村史)


熊沢村
くまのさわむら

[現在地名]村松町熊沢

仙見せんみ川下流、いかずち山北麓の河岸段丘上に立地。正保国絵図に熊野沢村とあり、高五三石余、村上藩領。元和四年(一六一八)の菅名組熊沢村御検地野帳(村松町史)では田は一町三反余。天和三年(一六八三)の寅年御免札写帳(落合家文書)では畑の作付面積は、五反余の粟を筆頭に楮・大豆・蕎麦・蜀黍・小豆・稗などが主で、水田は村役人らの大高持が所有している。享保二〇年(一七三五)五泉組熊沢村指出帳(同文書)では家数一五(うち寺一・百姓六・名子八)、男六一・女四五・僧三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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