持仏堂(読み)ジブツドウ

デジタル大辞泉 「持仏堂」の意味・読み・例文・類語

じぶつ‐どう〔ヂブツダウ〕【持仏堂】

持仏先祖位牌いはいを安置しておく堂、または室。仏間

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精選版 日本国語大辞典 「持仏堂」の意味・読み・例文・類語

じぶつ‐どうヂブツダウ【持仏堂】

  1. 〘 名詞 〙 持仏または祖先位牌を安置しておく堂、あるいは室。仏間。仏壇をいうこともある。持仏。
    1. [初出の実例]「入道の宮は、持仏(ヂブツ)だうの妻戸おしあけて」(出典狭衣物語(1069‐77頃か)三)

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改訂新版 世界大百科事典 「持仏堂」の意味・わかりやすい解説

持仏堂 (じぶつどう)

平生信仰している仏像すなわち念持仏を安置した堂。院家や子院塔頭(たつちゆう))などで,僧侶のみの礼拝の対象とした持仏堂は内持仏堂という。義浄三蔵の《南海寄帰内法伝》巻九は僧坊内に念持仏を安置した例をあげ,〈西国相伝へて其来ること久し〉と述べている。日本では《維摩会(ゆいまえ)縁起》《伊呂波字類抄》などに,藤原鎌足が病気全快を祈って維摩詰(ゆいまきつ)像を造り,〈家中に堂を建て〉て山階(やましな)精舎・陶原(すえはら)精舎としたと伝え,これが興福寺となったことは史上有名である。また,石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)が私宅を阿閦寺(あしゆくじ)としたが,厳密にいうと阿閦如来を安置した堂で,持仏堂であった。平安時代以降には貴族が邸内に持仏堂を建てた例は多く,平等院にも持仏堂があり,《狭衣物語》に〈入道の宮は御持仏堂のつま戸をおしあけ〉などとみえ,源頼朝も1188年(文治4)4月に持仏堂で《法華経》の講読を行うなどの例が《吾妻鏡》にみえる。自身や一門一族の安寧(あんねい)などを祈願する場所として,また禅定(ぜんじよう)の場所として利用された。近世になると茶人長闇堂のごとく,維摩居士の方7尺の居宅故事にならい,茶室を兼ねた持仏堂を造ることも行われた。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「持仏堂」の解説

持仏堂
じぶつどう

平生身近に安置して朝夕礼拝する念持仏のための小堂。本堂と別に子院などで僧侶のみが礼拝する持仏堂を,とくに内持仏堂とよぶこともある。奈良時代には念持仏は厨子に安置され,橘夫人厨子などが現存。平安時代以降,持仏堂が盛んに造られた。足利義政の持仏堂である慈照寺東求堂(とうぐどう)が代表例。近世になると茶室を兼ねた持仏堂を造ることも広まった。

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百科事典マイペディア 「持仏堂」の意味・わかりやすい解説

持仏堂【じぶつどう】

朝夕その人が信仰し礼拝する仏像(念持仏,持仏)を安置しておく建物,または部屋。江戸中期以後,一般化した在家の仏間や仏檀はこの変形である。

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世界大百科事典(旧版)内の持仏堂の言及

【念持仏】より

…その多くは小金銅仏,小木仏で,簡素な宮殿(くうでん)(龕(がん)),厨子(ずし)などに安置される。元来念持仏は自宅の一室に宮殿,厨子を安置し,私的に礼拝するものであるが,別棟や小堂を設ける場合もあり,これを持仏堂という。今日各家庭にみる仏壇は江戸時代にその形態が成立するが,これは念持仏安置が一般化し,普及発展したものといえる。…

※「持仏堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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