平生信仰している仏像すなわち念持仏を安置した堂。院家や子院(塔頭(たつちゆう))などで,僧侶のみの礼拝の対象とした持仏堂は内持仏堂という。義浄三蔵の《南海寄帰内法伝》巻九は僧坊内に念持仏を安置した例をあげ,〈西国相伝へて其来ること久し〉と述べている。日本では《維摩会(ゆいまえ)縁起》《伊呂波字類抄》などに,藤原鎌足が病気全快を祈って維摩詰(ゆいまきつ)像を造り,〈家中に堂を建て〉て山階(やましな)精舎・陶原(すえはら)精舎としたと伝え,これが興福寺となったことは史上有名である。また,石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)が私宅を阿閦寺(あしゆくじ)としたが,厳密にいうと阿閦如来を安置した堂で,持仏堂であった。平安時代以降には貴族が邸内に持仏堂を建てた例は多く,平等院にも持仏堂があり,《狭衣物語》に〈入道の宮は御持仏堂のつま戸をおしあけ〉などとみえ,源頼朝も1188年(文治4)4月に持仏堂で《法華経》の講読を行うなどの例が《吾妻鏡》にみえる。自身や一門一族の安寧(あんねい)などを祈願する場所として,また禅定(ぜんじよう)の場所として利用された。近世になると茶人長闇堂のごとく,維摩居士の方7尺の居宅の故事にならい,茶室を兼ねた持仏堂を造ることも行われた。
執筆者:堀池 春峰
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
平生身近に安置して朝夕礼拝する念持仏のための小堂。本堂と別に子院などで僧侶のみが礼拝する持仏堂を,とくに内持仏堂とよぶこともある。奈良時代には念持仏は厨子に安置され,橘夫人厨子などが現存。平安時代以降,持仏堂が盛んに造られた。足利義政の持仏堂である慈照寺東求堂(とうぐどう)が代表例。近世になると茶室を兼ねた持仏堂を造ることも広まった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…その多くは小金銅仏,小木仏で,簡素な宮殿(くうでん)(龕(がん)),厨子(ずし)などに安置される。元来念持仏は自宅の一室に宮殿,厨子を安置し,私的に礼拝するものであるが,別棟や小堂を設ける場合もあり,これを持仏堂という。今日各家庭にみる仏壇は江戸時代にその形態が成立するが,これは念持仏安置が一般化し,普及発展したものといえる。…
※「持仏堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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