日本歴史地名大系 「熊谷宿」の解説
熊谷宿
くまがやしゆく
大里郡
慶長七年(一六〇二)徳川家康は中山道の宿駅を定めたといわれるが、同年六月一〇日の熊谷宿中宛の駄賃定書(熊谷市史)によると、荷物一駄四〇貫の熊谷からの駄賃は深谷へ永楽銭八文、鴻巣へは一二文となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大里郡
慶長七年(一六〇二)徳川家康は中山道の宿駅を定めたといわれるが、同年六月一〇日の熊谷宿中宛の駄賃定書(熊谷市史)によると、荷物一駄四〇貫の熊谷からの駄賃は深谷へ永楽銭八文、鴻巣へは一二文となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…日本でも珍しい上円下方墳の宮塚古墳は国の史跡に,また元荒川源流部は県の天然記念物〈元荒川ムサシトミヨ生息地〉に指定されている。【新井 寿郎】
[熊谷宿]
中山道,武蔵国の宿駅。荒川左岸に位置する鎌倉期以来の交通の要衝で,地名の初見は1191年(建久2)の熊谷直実譲状。…
※「熊谷宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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