熊谷宿(読み)くまがやしゆく

日本歴史地名大系 「熊谷宿」の解説

熊谷宿
くまがやしゆく

[現在地名]熊谷市本町ほんちよう仲町なかちよう星川ほしかわ鎌倉町かまくらちよう弥生やよい宮町みやちよう末広すえひろ末広三―四丁目・筑波つくば銀座ぎんざ・銀座四―六丁目・桜町さくらちよう一―二丁目・箱田はこだ一―五丁目・本石ほんごく大原おおはら一―四丁目・円光えんこう一―二丁目・曙町あけぼのちよう・曙町五丁目・中西なかにし一―四丁目・月見町つきみちよう榎町えのきちよう赤城町あかぎちよう見晴町みはらしちよう宮本町みやもとちよう伊勢町いせちよう宮前町みやまえちよう河原町かわらちよう桜木町さくらぎちよう

大里郡おし領に所属(風土記稿)。郷帳類には熊谷町と記される。現熊谷市中央部南寄り、荒川の沖積扇状地東端に位置し、南端を荒川が流れる。中山道の宿村で、江戸日本橋から八番目の宿にあたり、七番鴻巣宿と九番深谷宿の間にある。東は佐谷田さやだ村、埼玉郡平戸ひらと村、北は同郡箱田はこだ村、肥塚こいづか村、幡羅はら柿沼かきぬま村、西は石原いしはら村、南は荒川を境に万吉まげち村・村岡むらおか村。荒川は有史以来しばしば乱流を繰返し、河道が熊谷宿の北方を流れたこともあったが、寛永六年(一六二九)の瀬替えによって現流路となった。天正年間(一五七三―九二)洪水の欠所に生じた真言宗智山派石上せきじよう寺境内の湧水ほし川の水源となり、付近に天正二年小田原北条氏が荒川の水除堤として北条ほうじよう堤を築いたという(風土記稿)中世は熊谷郷に含まれる。同八年一二月一二日の成田氏長印判状(長野文書)に「熊谷之町」とみえ、忍城(現行田市)城主成田氏長の支配下にあって宿の基盤が整えられたと考えられる。北条堤は熊谷堤ともいわれるが、同一八年の徳川家康関東入国後忍城主となった松平家忠は、同一九年三月に熊谷堤五〇間の増築を完工させている(「家忠日記」同月六日条)。現在の堤は荒川沿いの熊谷運動公園となっており、桜の名所として知られる。

慶長七年(一六〇二)徳川家康は中山道の宿駅を定めたといわれるが、同年六月一〇日の熊谷宿中宛の駄賃定書(熊谷市史)によると、荷物一駄四〇貫の熊谷からの駄賃は深谷へ永楽銭八文、鴻巣へは一二文となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の熊谷宿の言及

【熊谷[市]】より

…日本でも珍しい上円下方墳の宮塚古墳は国の史跡に,また元荒川源流部は県の天然記念物〈元荒川ムサシトミヨ生息地〉に指定されている。【新井 寿郎】
[熊谷宿]
 中山道,武蔵国の宿駅。荒川左岸に位置する鎌倉期以来の交通の要衝で,地名の初見は1191年(建久2)の熊谷直実譲状。…

※「熊谷宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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