日本大百科全書(ニッポニカ) 「熱田大宮司季範」の意味・わかりやすい解説
熱田大宮司季範
あつただいぐうじすえのり
(1090―1155)
平安後期の熱田大宮司。藤原南家貞嗣(さだつぐ)の子孫といわれる。父は尾張(おわり)国目代(もくだい)藤原季兼(すえかね)、母は熱田大宮司尾張員職(かずもと)の女(むすめ)。幼少のころ三河国額田(ぬかだ)に住していたため、額田冠者(かじゃ)と号した。成人後、尾張国目代となった機会に、外祖父員職から熱田大宮司職の譲与を受け、藤原氏による初代大宮司となった。しかも、季範の子範忠(のりただ)、範雅(のりまさ)もともに大宮司職についたため、以後、大宮司職は尾張氏を離れ、藤原氏の世襲するところとなった。なお季範の一女子は、源家の棟梁(とうりょう)源義朝(よしとも)に嫁して頼朝(よりとも)を生んだ。季範はのち従(じゅ)四位に叙せられ、久寿(きゅうじゅ)2年12月2日、66歳で没した。
[鈴木国弘]