燈籠町(読み)とうろうちよう

日本歴史地名大系 「燈籠町」の解説

燈籠町
とうろうちよう

下京区東洞院通高辻下ル

南北に通る東洞院ひがしのとういん(旧東洞院大路)を挟む両側町。町の北は高辻たかつじ(旧高辻小路)、南は松原通(旧五条大路)にも面する。

平安京の条坊では町の西側が左京五条三坊三保一三町東、東側は同四坊二保四町の西にあたる。平安時代中期以降は五条東洞院の北。「山槐記」仁安二年(一一六七)二月一一日条に「入五条殿五条北、東洞院東、中宮大夫実長卿家也」とあり、藤原実長の邸宅が営まれていた。実長は参議藤原公行の嫡男で、保元元年(一一五六)に参議となり、長寛二年(一一六四)権大納言となっている。また、時期は不明であるが、平重盛の建立した燈籠堂が東山小松谷ひがしやまこまつだに(現東山区)より移転してきている。この燈籠堂はその後、後花園天皇より浄教じようきよう寺の勅額を拝したが荒廃。文安三年(一四四六)定意により中興され浄土宗鎮西派に属した。天正年中(一五七三―九二)豊臣秀吉の命によって四条京極(現下京区貞安前之町)に移され現在に至っている。

「祇園社記」の嘉慶二年(一三八八)「祇園社御燈所京都敷地事」にはその一つとして、「高辻東洞院南東頬 弐丈五尺」の地があげられ、当町の一部が同社の御灯料所であったことが知れる。その他にも祇園社の散在敷地があり、同じ嘉慶二年の「祇園社領洛中散在敷下地事」に「高辻東洞院与五条間 弐丈五尺」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android