日本歴史地名大系 「牛滝村」の解説
牛滝村
うしたきむら
下北半島西端部のほぼ中央、
正保四年(一六四七)の南部領内総絵図に村名の記載はないが、寛文(一六六一―七三)の頃より牛滝湊は船掛りの適地とされていた。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付に村名がみえ、寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」には高一〇石余で、すべて畑とある。家数は二〇。享和三年(一八〇三)の仮名付帳では家数二九、うち支村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報