牛袋村(読み)うしぶくろむら

日本歴史地名大系 「牛袋村」の解説

牛袋村
うしぶくろむら

[現在地名]須賀川市西川にしかわ丸田町まるたまち・西川町・茶畑町ちやばたけまち日向町ひなたまち新町しんまち・牛袋町・影沼町かげぬままち大袋町おおぶくろまち岡東町おかひがしまち

山寺やまでら村の南西、釈迦堂しやかどう川北岸の氾濫原と低台地に立地。主集落は台地の南斜面にある。村名は旱魃時に地内の影沼かげぬま竜神りゆうじん池に浸して雨乞を祈った牛頭が祀られていたことに由来すると伝え、建暦三年(一二一三)和田胤長が謀反の罪で配流、刑死になった影沼(通説は現鏡石町)当地とする説がある。奈良時代の横穴式墳墓一一基からなる梅田うめだ古墳群があり、青銅製釧・鉄製鞘石・直刀片などが出土している。享禄四年(一五三一)の紀年のあるもと長禄ちようろく寺鐘(現在亡失)の銘に「奥州磐瀬郡牛袋村広福山長禄禅寺」とみえるが、同寺はのち須賀川きた町に移転。


牛袋村
うしぶくろむら

[現在地名]亘理町逢隈牛袋おうくまうしぶくろ

阿武隈川が大きく蛇行する氾濫原上にある。南は十文字じゆうもんじ村、北西中泉なかいずみ村、西は田沢たざわ村、東は高須賀たかすか村。正保郷帳では田一七貫一一八文・畑一八貫八六七文で旱損の村と注記する。「安永風土記」では田三七貫五一七文・畑二二貫五二文(うち茶畑一三六文)。蔵入地一五貫八四一文(うち新田五貫六二二文)で残りは亘理伊達氏の知行地(うち新田一六貫九六二文)。人頭二三人のうち寛永一九年(一六四二)の竿答百姓一六人、百姓家数五一(うち名子一〇・水呑一八)、男一四六・女九七、馬二五。


牛袋村
うしぶくろむら

[現在地名]木更津市牛袋

木更津村の北東方、祇園ぎおん村の北に位置し、小櫃おびつ川が北流する。応永二四年(一四一七)四月九日の銘のある現東京都杉並区宇野信四郎氏所蔵の懸仏に「上総国金田保之内牛袋住人大工貞吉」とみえ、金田かねだ保の内であった。地内に貞和五年(一三四九)銘などの武蔵型板碑がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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