牛越城跡(読み)うしごえじようあと

日本歴史地名大系 「牛越城跡」の解説

牛越城跡
うしごえじようあと

[現在地名]原町市牛越

水無(みずなし)川の北岸、城下(しろした)・舘下(たてした)の標高約七〇メートルの台地上に位置する。現在、本丸跡は削平され、原町市の貯水槽が設置されている。一五世紀中頃には牛越上総介定綱の居城であったとされるが、文安二年(一四四五)謀反を理由に相馬高胤に攻められ落城、のち相馬氏の出城となったとされる。天正(一五七三―九二)頃には普請による城の強化が図られ、慶長二年(一五九七)相馬義胤が小高(おだか)城(現小高町)から当城に移って居城とした。しかし同七年に義胤は徳川氏から関ヶ原の合戦不参加の責めを受け領地没収となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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