日本歴史地名大系 「牛込白銀町」の解説 牛込白銀町うしごめしろがねちよう 東京都:新宿区旧牛込区地区牛込白銀町[現在地名]新宿区白銀町(しろがねちよう)・神楽坂(かぐらざか)五丁目など神楽坂の通り(牛込御門通)の北側、行元(ぎようげん)寺の裏手を東西に走る通りの南側に沿う片側町で、下水を隔てて南東方に飛地がある。東および北側は武家地など、西は道を隔てて安養(あんよう)寺・保善(ほうぜん)寺・清光(せいこう)院など。町屋は東西五八間余、南北は東で一五間、西で二二間、中ほどが六間。飛地は南北一一間余、東西は南で一六間余、北で一六間。総坪数一千一〇九坪。古くは牛込村のうちで、その後町屋となるが、起立の年など詳細は不明である。一説には慶長年間(一五九六―一六一五)の江戸城修築の際、田安(たやす)(現千代田区)の住人を移して町を開いたともいう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by