牧之島城跡(読み)まきのしまじようあと

日本歴史地名大系 「牧之島城跡」の解説

牧之島城跡
まきのしまじようあと

[現在地名]信州新町牧野島

牧之島村西方にある。城の南から西へ北へとさい川が蛇行している。水面からの比高約三〇メートルの断崖上にある。

文応(一二六〇―六一)の頃、佐久郡の香坂宗清がこの地に移住して私牧を経営したという。以来香坂氏は居館牧城に拠て勢力を張っていた。建武三年(一三三六)六月二九日の信濃国市河左衛門十郎経助軍忠事(市河文書)に香坂小太郎心覚が牧城に立てこもって戦ったとある。応永七年(一四〇〇)大塔合戦における大文字一揆の中心に香坂宗継が加わっている(大塔物語)

武田晴信は川中島に侵攻し、永禄三年(一五六〇)海津かいづ城を築いた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む