牧城跡
まきのしろあと
村の中央より南、現字福井原・屋知にわたる、通称福井城とされる中世の城。正確な所在場所は未詳。
建武三年(一三三六)一月、南朝方の香坂心覚らが牧城に拠って兵を挙げ、北朝方の村上信貞が市河経助らを率いてこれを攻めた。同年六月、一〇月にも戦いが行われた。
香坂心覚は佐久の人であり、挙兵には地域土豪の協力があったはずである。この土豪は地域的には須田氏と推定されるが不明。牧城は、現上水内郡信州新町の牧之島城とする説もあるが、多くは牧村の地にあてている(上高井誌)。
牧城跡
まきじようあと
村落東南方、標高約五三〇メートルの山頂(俗称、城山)にあり、宇陀・吉野両郡を結ぶ街道の要衝に立地する。南北朝時代、南朝方に属した牧定観・同尭観父子の居城跡である。山頂の小規模な平地が主郭で、北方に武者隠があり、西南隅は空堀で区切られ、土塁越しに小郭が付属している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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